ウダーナ ~ ベスト・オブ・仏教 第3章5マハーモッガッラーナの経(現代語訳・解説)
3.5 マハーモッガッラーナの経(25)
このように、わたしは聞きました。
あるとき、お釈迦様は、サーヴァッティーに住んでおられた。
ジェータ林のアナータピンディカ長者の聖園にて、尊者マハーモッガッラーナが、お釈迦様から遠く離れていないところ、瞑想姿で身体を真っすぐに立てて、心の集中点を眼前にすえて坐っていたのです。
お釈迦様は、尊者マハーモッガッラーナが、遠く離れていないところに瞑想姿で身体を真っすぐに立てて、心の集中点を眼前にすえて坐っているのをご覧になった。
お釈迦様は、このことを知って、ウダーナ唱えました
身体の動きにそっていま流れている
眼・耳・鼻・舌・身・意の情報を止めて
常にサマーディにあるビク
その人は解脱に達している(29)
以上が第五の経となる。
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物語は、お釈迦様が尊者マハーモッガッラーナをご覧になって口にされた言葉です、これは、悟った方と、悟った方の対話です。
悟りの境地の会話ですので、一般人が理解するのは難しい詩です。
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なにが書いてあるか
(直訳詩)
Sati kāyagatā upaṭṭhitā,
身体についてのきづきが現にあり
Chasu phassāyatanesu saṃvuto;
六つの接触の場所(眼・耳・鼻・舌・身・意)が制限されて
Satataṃ bhikkhu samāhito,
常に入定するビクは
Jaññā nibbānamattano”ti.
自己の涅槃を知るであろう
解 説
Sati kāyagatā upaṭṭhitā,
体が身体の動きにそっていま流れている
*呼吸などの身体の動きに集中することです。
*雑念がなくなると禅定が現れます。
Chasu phassāyatanesu saṃvuto;
眼・耳・鼻・舌・身・意の情報を止めて
*眼・耳・鼻・舌・身・意に情報が入ってもこころが揺らがない状態です。
*貪欲なども止めてます
*知の防御も示しています。
Satataṃ bhikkhu samāhito,
常にサマーディにあるビク
Jaññā nibbānamattano”ti.
自己の涅槃を知るであろう
*こころが解脱に達していることを知っているのです。
*禅定に達すると、それに強い執着が生まれます。
*覚者も禅定に入ってみますが、その状態に執着しないのです。
*それは、一般人には出来ない能力です。