ウダーナ ~ ベスト・オブ・仏教

仏教ベスト盤 ~ ウダーナ ~ を翻訳・解説

ウダーナ ~ ベスト・オブ・仏教 第8章6パータリ村の者たちの経(現代訳・解説)


8.6 パータリ村の者たちの経(76)
 このように、わたしは聞きました。
 あるとき、お釈迦様は、マガダ国でビク衆と共にパータリ村へ遊行の旅をし、パータリ村の信者たちは、「世尊がマガダ国で大いなるビク衆と共に、遊行の旅をし、パータリ村に到着したらしい」と耳にしました。パータリ村の信者たちは、お釈迦様のところに行き、かたわら坐り、こう申し上げた。
 「尊き方よ、世尊よ、わたしたちの休息堂を、お使いください」
お釈迦様は沈黙をもってお受けになりました。
 パータリ村の信者たちは、お釈迦様がお受けになることを知って坐から立ち上がってご挨拶(あいさつ)して、村にある敷物を休息堂に広げて、坐を設けて、水瓶をおいて、油の灯明を灯して、お釈迦様に、こう申し上げた。
 「尊き方よ、敷物が休息堂に広げられ、坐が設けられ、水瓶がおかれ、油の灯明が灯され
  ました。尊き方よ、世尊よどうぞ、お越しください」
 お釈迦様は、衣を着て鉢と衣料をもってビク衆と休息堂で、足を洗って休息堂に入って中央の柱によりかかり東に向かって坐られました。
 ビク衆も、足を洗って休息堂に入って西の壁によりかかり東に向かって坐りました。お釈迦様を前にしてパータリ村の信者たちもまた、足を洗って休息堂に入って東の壁によりかかり西に向かって坐りました。
 お釈迦様はパータリ村の信者たちに語りかけました。
 家長たちよ、五つのものがあります。戒を保たぬ者は戒のない者は、これらの五つの危険があります。
どのようなものが、五つのものなのですか。
(1)家長たちよ、戒を保たぬ者で、戒がない者は、
放逸を原因として大いに財物を失うことになります。
戒を保たぬ者には戒を損なうことによる、この第一の危険があります。
(2)家長たちよ、さらには戒を保たぬ者で、戒がない者は、
悪しき評判の声が上がります。
戒を保たぬ者には戒を損なうことによる、この第二の危険があります。
(3)家長たちよ、さらには戒を保たぬ者で、戒がない者は、
それが士族の衆会であれ、それがバラモンの衆会であれ、それが家長の衆会であれ、それがサマナの衆会であれ、その衆会へと自信なく恥ずかしく入っていく。
戒を保たぬ者には戒を損なうことによる、この第三の危険があります。
(4)家長たちよ、さらには戒を保たぬ者で、戒がない者は、
迷乱した者として命を終えます。
戒を保たぬ者には戒を損なうことによる、この第四の危険があります。
(5)家長たちよ、さらには、戒を保たぬ者で、戒がない者は、
身体の破壊ののち、死後は、悪所に、悪趣に、堕所に、地獄に、再生します。
戒を保たぬ者には戒を損なうことによる、この第五の危険があります。
家長たちよ、戒を保たぬ者には戒を損なうことによる、これらの五つの危険があります。
家長たちよ、五つのものがあります。戒ある者は戒を守るから、五つの福利があります。


どのようなものが五つのものなのですか。
(1)家長たちよ、戒ある者で、戒が成した者は、
無駄使いがないので、財物を蓄積します。
戒ある者には戒を保つことによる、この第一の福利があります。
(2)家長たちよ、さらには、戒ある者は戒を守るから、
善き評判の声が上がります。
戒ある者には戒を保つことによる、この第二の福利があります。
(3)家長たちよ、さらには、戒ある者は戒を守るから、
士族の衆会であれ、バラモンの衆会であれ、家長の衆会であれ、サマナの衆会であれ、衆会へと、自信をもって恥ずかしい思いなしに入っていく。
戒ある者には戒を保つことによる、この第三の福利があります。
(4)家長たちよ、さらには、戒ある者は戒を守るから、
迷乱なき者として命を終えます。
戒ある者には戒を保つことによる、この第四の福利があります。
(5)家長たちよ、さらには、戒ある者は戒を守るから、
身体の破壊ののち、死後に、善趣に、天上の世に、再生します。
戒ある者で守戒ある者は、この第五の福利があります。
家長たちよ、戒ある者は戒を守るから、これらの五つの福利があります」
 お釈迦様は、夜のあいだ多くを、パータリ村の在俗信者たちに、法(真理)の講話によって真理を説き、観(すす)められ、教えられ、励まし、喜ばせて人々を送り出しました。
 「家長たちよ、夜が更けました。そろそろ、お帰りなさい」そこでパータリ村の信者は、
  お釈迦様が語ったことを喜び、ありがたく思い、坐から立ち上がってお釈迦様にご挨拶
 (あいさつ)して立ち去りました。
お釈迦様は、パータリ村の在俗信者たちが立ち去ったあと空屋に入られました。


 そのころ、マガダ国の大臣のスニダとヴァッサカーラがパータリ村にヴァッジー国の来襲に備えて城市を築いていた。
 その地は、百千もの大勢の天神たちがパータリ村に、お住まいになっていた地です。
大天神たちがお住まいの地は、むかし大王たちや王の大臣たちが、そこに住居を築こうとしようしたところです。
 中天神たちが、お住まいになっていた地は、むかし中王たちや王の大臣たちが、そこに住居を築こうとしようしたところです。
 低い天神たちが、お住まいになっていた地は、むかし低い王たちや王の大臣たちが、そこに住居を築こうとしようしたところです。
 お釈迦様は神通力で百千もの天神たちが、パータリ村にお住まいになっているのをご覧になった。
 大天神たちがお住まいの地は、むかし大王たちや王の大臣たちが、そこに住居を築こうとしようしたところです。
 中天神たちが、お住まいになっていた地は、むかし中王たちや王の大臣たちが、そこに住居を築こうとしようしたところです。
 低い天神たちが、お住まいになっていた地は、むかし低い王たちや王の大臣たちが、そこに住居を築こうとしようしたところです。
お釈迦様はその夜、明け方になると立ち上がって、尊者アーナンダに語りかけました。
 「アーナンダよ、誰がパータリ村に城市を築いているのか」
 「尊き方よ、マガダ国の大臣のスニダとヴァッサカーラが、パータリ村にヴァッジー国の
  来襲に備えて城市を築いています。」
 「アーナンダよ、それは三十三天の神々たちと共に話し合って決めたかのように、アーナ
  ンダよ、マガダ国の大臣のスニダとヴァッサカーラがパータリ村にヴァッジー国の来襲
  に備えて城市を築いています。アーナンダよ、わたしは、神通力によって百千もの、大
  勢の天神たちがパータリ村に、お住まいになっているのを見ました。
  中天神たちが、お住まいになっていた地は、むかし中王たちや王の大臣たちが、そこに
  住居を築こうとしようしたところです。
  低い天神たちが、お住まいになっていた地は、むかし低い王たちや王の大臣たちが、そ
  こに住居を築こうとしようしたところです。
  アーナンダよ、聖なる場所としてあるかぎり、商いの通路としてあるかぎり、この地
  は、最上の城市パータリプッタとして、栄える都となるであろう。
  アーナンダよ、しかし、パータリプッタには、三つの災いがおこるでしょう。火災、水
  害、敵の破壊から」と。
 マガダ国の大臣のスニダとヴァッサカーラは、お釈迦様のおられるところに行き、共に今回の出会いを喜び合いました。喜ばしい話の挨拶(あいさつ)を交わして、かたわらに立った、マガダ国の大臣のスニダとヴァッサカーラはお釈迦様に、こう申し上げた。
 「貴君ゴータマよ、今日わたしたちの食事をビク衆と共にお受けください」
お釈迦様は、沈黙をもってお受けになりました。
 マガダ国の大臣のスニダとヴァッサカーラは、お釈迦様がお受けになることを知って、自らの住居のあるところに行き、自らの住居で、おいしい固い食事や軟らかい食事を準備してお釈迦様に時を告げました。
 「貴君ゴータマよ、時間です、食事ができました」
 お釈迦様は、朝早くに衣を着て鉢と衣料をもって、ビク衆と共にマガダ国の大臣のスニダとヴァッサカーラの住まいのあるところ行き、設けられた坐に坐られました。マガダ国の大臣のスニダとヴァッサカーラは、ビク衆を、おいしい固い食事や軟らかい食事で満足させ自らの手で給仕しました。
 マガダ国の大臣のスニダとヴァッサカーラはお釈迦様が食事を終え、鉢から手を離すと、下坐のかたわらに坐った、マガダ国の大臣のスニダとヴァッサカーラをお釈迦様は、これらの詩偈をもって祝福した。


その地で賢者の類が
住居を営むところは
人が自制心あり清らかな修行者や
戒ある者たちに供養する(86)


むかしそこにいた天神たちに
お布施をするべきである
天神は供養され、賢者を供養し
敬い尊ばれた天神は、賢者を敬い尊ぶ(87)


そののち母が慈しむように
わが子を慈しむように
天神たちが慈しむ人は
常に幸せを見る(88)


 お釈迦様は、マガダ国の大臣のスニダとヴァッサカーラをこれらの詩偈をもって喜ばせ、坐から立ち上がって立ち去りました。
 その時マガダ国の大臣のスニダとヴァッサカーラはすぐあとからお釈迦様についてまわり。
 「今日、サマナ・ゴータマが出てゆく門を、『ゴータマの門』という名で呼ぼう。サマ
  ナ・ゴータマがガンガー川を渡る渡し場を、『ゴータマの渡し場』という名で呼ぼう」
 お釈迦様が出られた、門それは、『ゴータマの門』という名になった。お釈迦様は、ガンガー川のあるところに近づいた。その時ガンガー川は烏が飲めるほど岸まで一杯に水が満ちています。人々は舟を探し求め、筏(いかだ)を探し求め、浮橋をつなぎ、こちら岸からあちら岸に渡ろうとしていた。そこでお釈迦様は、力のある人が曲げた腕を伸ばすかのように伸ばした腕を曲げる間に、修行者の僧団と共にガンガー川のこちら岸から姿を消し、あちら岸に立ちました。
 お釈迦様は、人々が舟を探し求めながら、筏を探し求めながら、浮橋をつなぎながら、こちら岸からあちら岸に渡ろうとしているのを見ました。
  お釈迦様は、このことを知って、ウダーナを唱えました


橋を作り泥沼を避けて
流れる川を渡る賢き人々は
愚かな人が浮きを作る間に
迷いの生存の流れを渡る
(89)
   以上が第六の経となる。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


パータリ村の人々への説法のまとめ


家長たちよ、戒を保たぬ者で、戒がない者は
(1)放逸を原因として大いに財物を失うことになります。
(2)悪しき評判の声が上がります。
(3)それが士族の衆会であれ、バラモンの衆会、家長の衆会、サマナの衆会、その衆会へ
   と自信なく恥ずかしく衆会に入っていく。
(4)迷乱した者として命を終えます。
(5)身体の破壊ののち、死後は、悪所に、悪趣に、堕所に、地獄に、再生します。


家長たちよ、戒ある者で、戒が成した者は
(1)無駄使いがないので、財物を蓄積します。
(2)善き評判の声が上がります。
(3)士族の衆会であれ、バラモンの衆会、家長の衆会、サマナの衆会、その衆会へと、自
   信をもって恥ずかしい思いなしに入っていく。
(4)迷乱なき者として命を終えます。
(5)身体の破壊ののち、死後に、善趣に、天上の世に、再生します。



詩の解説


その地で賢者の類が
住居を営むところは
人が自制心あり清らかな修行者や
戒ある者たちに供養する
 *自分が住む地方に住んでいる、智慧のある、こころを制御した、修行者達に食事の施し
  を行う。


むかしそこにいた天神たちに
お布施をするべきである
天神は供養され、賢者を供養し
敬い尊ばれた天神は、賢者を敬い尊ぶ
 *その地方に住んでいる神々にも回向する。
 *供養を受けたもの、敬仰〔けいぎょう〕されたもの(神々)、供養を受けたもの
 (神々)は彼等に供養する。敬仰する。


そののち母が慈しむように
わが子を慈しむように
天神たちが慈しむ人は
常に幸せを見る
 *母が我が子を守るように神々がその人々を守る。
 *神々に愛される人々は常に幸福になる。



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なにが書いてあるか
(直訳詩)
Ye taranti aṇṇavaṃ saraṃ,
流れる川を超える人
Setuṃ katvāna visajja pallalāni;
橋を作って、湖沼を捨てて
Kullañhi jano pabandhati,
人が、いかだを繋げ
Tiṇṇā medhāvino janā”ti.
賢き人たちが、超える



解 説


Ye taranti aṇṇavaṃ saraṃ,
橋を作り泥沼を避けて
 *ガンジス川は水が満ちていて流れていたのです。
Setuṃ katvāna visajja pallalāni;
流れる川を渡る賢き人々は
Kullañhi jano pabandhati,
愚かな人が浮きを作る間に
 *人々は、渡し船を探したり、筏を作ったりして大騒ぎでした。
Tiṇṇā medhāvino janā”ti.
迷いの生存の流れを渡る
 *人の手を借りることなく仏陀と弟子達が瞬時に川を渡ったのです。
 *煩悩という沼を避けて、仏道という橋を作って、輪廻という川を賢者が渡る。

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