ウダーナ ~ ベスト・オブ・仏教 第8章10二のダッバの経 (現代訳・解説)
8.10 二のダッバの経(80)
このように、わたしは聞きました。
あるとき、お釈迦様は、サーヴァッティーに住んでおられた。
ジェータ林のアナータピンディカ長者の聖園で、お釈迦様は修行者たちに語りかけました。
「ビクたちよ」と。「尊き方よ」と、修行者たちはお釈迦様に答えました。お釈迦様は、
こう言いました。
「ビクたちよ、マッラ族の子息のダッバは、宙に舞い上がって空中で、瞑想姿を組んで
、火の界域に入り、火の界域から出て完全なる涅槃に到達したとき、肉体が燃やされ焼
かれても灰もなければすすもありませんでした。たとえば、バターや油が燃やされ焼か
れても灰もなければすすもない、このようにマッラ族の子息の尊者ダッバは、宙に舞い
上がって空中で瞑想姿のまま火の界域に入り、火の界域から出て、完全なる涅槃に到達
した、肉体が燃やされ焼かれても灰もなければすすもありませんでした。
お釈迦様は、このことを知って、ウダーナを唱えました。
鉄の棒で打たれた
燃える火が
徐々に静まったなら
その行先が知られないように(94)
正しく解脱した人たちの
欲望の縛りの激流を超え渡る人たちの
不動の安楽を得た人たちの
行先は伝えようにも、もはや存在しない(95)
以上が第十の経となる。
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なにが書いてあるか
(直訳詩)
Ayoghanahatasseva,
鉄の棒で打たれた
jalato jātavedaso;
燃える火が、
Anupubbūpasantassa,
徐々に静まったなら、
yathā na ñāyate gati.
その行方が知られないように
Evaṃ sammāvimuttānaṃ,
このように、正しく解脱した人
kāmabandhoghatārinaṃ;
欲望の縛りを超えた人は
Paññāpetuṃ ga ti natthi,
知らせるにも行くところはない
pattānaṃ acalaṃ sukhan”ti.
動かぬ安楽をえた人なのだから
解 説
Ayoghanahatasseva,
鉄の棒で打たれた
jalato jātavedaso;
燃える火が
Anupubbūpasantassa,
徐々に静まったなら
yathā na ñāyate gati.
その行先が知られないように
Evaṃ sammāvimuttānaṃ,
正しく解脱した人たちの
kāmabandhoghatārinaṃ;
欲望の縛りの激流を超え渡る人たちの
Paññāpetuṃ ga ti natthi,
不動の安楽を得た人たちの
pattānaṃ acalaṃ sukhan”ti.
行先は伝えようにも、もはや存在しない
*解脱者の死後のことを考えることが出来ないと言う意味で歌われた二つの偈です。
*思考するために人が使う材料すべてなくなっているのです。
