ウダーナ ~ ベスト・オブ・仏教 第8章9一のダッバの経(現代訳・解説)
8.9 一のダッバの経(79)
このように、わたしは聞きました。
あるとき、お釈迦様はラージャガハ(王舎城)に住んでおられた。
ヴェール林のカランダカ・ニヴァーパ(竹林精舎)でマッラ族の子息の尊者ダッバが、お釈迦様のおられるところに行き、ご挨拶(あいさつ)して、かたわらに坐った。マッラ族の子息の尊者ダッバは、お釈迦様にこう申し上げた。
「善き至達者よ、わたしにとって、完全なる涅槃に到達する時です」
「ダッバよ、今がそのときと、あなたが思うのならそうしなさい」
マッラ族の子息の尊者ダッバは、坐から立ち上がって、お釈迦様にご挨拶(あいさつ)して
宙に舞い上がって空中で瞑想姿のまま火の界域に入り、火の界域から出て完全なる涅槃に到達しました。
マッラ族の子息の尊者ダッバは、宙に舞い上がって空中で瞑想姿のまま火の界域に入り、火の界域から出て、完全なる涅槃に到達した。肉体が燃やされ焼かれても、灰もなければすすもありませんでした。たとえば、バターや油が燃やされ焼かれても、灰もなければすすもないように、このようにマッラ族の子息の尊者ダッバは、宙に舞い上がって空中で、瞑想姿で火の界域に入り、そののち、火の界域から出て、完全なる涅槃に到達した。肉体が燃やされ焼かれても、灰もなければすすもありませんでした。
お釈迦様は、このことを知って、ウダーナを唱えました
身体は壊れ、想は滅した
すべての感覚は、焼け失せた
すべての意志の動きも静止し
認識機能は消え去った(93)
以上が第九の経となる。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
なにが書いてあるか
(直訳詩)
Abhedi kāyo nirodhi saññā,
身体は壊れ、想は滅した。
Vedanā sītibhaviṃsu sabbā;
受は全てが冷静となり
Vūpasamiṃsu saṅkhārā,
行は静止した。
Viññāṇaṃ atthamāgamā”ti. (
識は消え去った
解 説
Abhedi kāyo nirodhi saññā,
身体は壊れ、想は滅した
*想・概念をつくることも終わりました
Vedanā sītibhaviṃsu sabbā;
すべての感覚は、焼け失せた
*感覚すべてストップしました
Vūpasamiṃsu saṅkhārā,
すべての意志の動きも静止し
*それから衝動・行、あれで次の現象が生まれるのです。そちらにもサンカーラという、
ポテンシャルという働きがあるんです。心にはいつでもポテンシャルが入っていて、そ
れも消えました
Viññāṇaṃ atthamāgamā”ti.
認識機能は消え去った
*認識する機能が停止しました
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
伝 記
ダッバ・マッラプッタ
「マッラ族の子ダッバ」の意。マッラ族の王家の生まれ。幼年のとき母に死別し、祖母に育てられる。七歳のときお釈迦様に出会い、出家して直ちにさとりを得る。教団の坐臥具や食事などを分配する役を勤め、ときに同輩の比丘にねたまれて無実の罪を負わされかけたが、その疑いはすぐに晴れる。
その人格を称えるためか後世の人々による、指先に光を放って夜も比丘を案内したという話も今に伝わっている。
「テーラガーター」第五を説く
五 かつては制御し難かったが、いまや自制によって制御されているダッバは、満足し、疑惑を超え、勝利者となって、恐怖をいだくことがない。なぜならば、このダッバは、善良であって、完全に安らぎを得て、みずから安立しているからである。
尊き人・ダッバ長老はこのように詩句を唱えた。
