ウダーナ ~ ベスト・オブ・仏教

仏教ベスト盤 ~ ウダーナ ~ を翻訳・解説

ウダーナ ~ ベスト・オブ・仏教 第1章4大傲な者の経 (現代訳・解説)

 


 1.4 大傲な者の経 
 このように、わたしは聞きました。
 あるとき、お釈迦様はウルヴェーラーに住んでおられた。
ネーランジャラー川の岸辺のアジャパーラ・ニグローダ樹の根元で悟りをえてすぐのころ、七日のあいだ瞑想姿で坐っておられた。
 悟りの安楽を得たお釈迦様は七日が過ぎて、瞑想から覚められた。
偉そうで、大げさなバラモンが、お釈迦様と今回の出会いを喜び合い挨拶(あいさつ)を交わしてかたわらに立ち、お釈迦様にこう言ったのです。
 「友ゴータマよ、どのような人をバラモンと呼ぶのか、どのようなものが人をバラモンにする法(性質)なのですか」
  お釈迦様は、このことを知って、ウダーナを唱えました


もしもバラモンが悪徳を除き
傲慢でなく汚れなく自制し
ヴェーダの極致に達し清らかな修行を実践したならば
この世にあるものに何事についても傲慢さがない
法(真理)に従って自分は真のバラモンであると語る
(4)
           以上が第四の経となる。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 バラモンカーストは聖者で生まれつき勝れているという信仰で、他人に敬語を使わないのです。 このバラモンは、何でも批難的で、バラモンに対しても批難的であったと思います

 解脱に達して四週間しか経ってないので、対話的な説法はありません、伝道する気はまだ起きてなかったようです。
お釈迦様の時代は、バラモンという単語は聖者に使う単語でもあることが常識です。 御自分が聖者になったので、その喜びを歓喜の言葉として語られた経典です。


 質問には答えられています。しかし、相手が理解するか否かを気にしてないのです。悩んでいるバラモンを見たところで、釈迦牟尼仏陀は自分が解脱に達して、成功したことに喜びを感じて、この詩句を歌ったのです。



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なにが書いてあるか



(直訳詩)
Yo brāhmaṇo bāhitapāpadhammo,
そのバラモンが、悪い法を除き
Nihuṃhuṅko nikkasāvo yatatto;
驕りなく、濁りなく、自己を制御し
Vedantagū vūsitabrahmacariyo,
智の終極に達し、梵行を完成したなら
Dhammena so brahmavādaṃ vadeyya;
法(真理)によって、梵諭を知らしめる
Yassussadā natthi kuhiñci loke’’ti.
そこには傲慢が、世間のどこにも存在しない




解 説


Yo brāhmaṇo bāhitapāpadhammo,
もしもバラモンが悪徳を除き
 *悪と思われる一切の現象(法)を捨ててしまっているということ。(悪を犯してしまう性格が消えています)
Nihuṃhuṅko nikkasāvo yatatto;
傲慢でなく汚れなく自制し
 *Nihuṃhuṅko 傲慢でなく、(見解が全て消えた状態)
 *自分の見解を持って他を軽視することはない。(真理を知り尽くしたら見解は消える)
 *Nikkasāvo 汚れなく(煩悩はない)、
 *yatatto 自制し(自分を戒めることを完成し)
Vedantagū vūsitabrahmacariyo,
ヴェーダの極致に達し清らかな修行を実践したならば
 *Vedantagūとは、知るべきものの全て(智慧の極致)を知っているということになりま
  す。
 *Veda とはバラモンの聖典です。 Veda には、智慧・Knowledge という意味があって、
  ヴェーダを唱えると智慧に達するという信仰があった。
 *vūsitabrahmacariyo 
 *梵行(清浄行)を完成している。 梵天とはバラモン教徒が期待する究極の境地です。   清らかな生き方・修行という意味で使います。 修行は完成しましたという意味です。
  お釈迦様はバラモン教の考えに言葉を合わせているのです
Dhammena so brahmavādaṃ vadeyya;
この世にあるものに何事についても傲慢さがない
 *合法的に真理に従って自分は真のバラモンであると語ります
 *彼はこの世にある何事についても傲慢さがない
 *一切の存在に対して何の関わりも、執着もありません
Yassussadā natthi kuhiñci loke’’ti.
法(真理)に従って自分は真のバラモンであると語る
 *ussadā-凸 とつ (こころにはこの世に対する引っかかるもの)は何もありません。
 *この単語は煩悩・慢という意味でも使います。
 *お釈迦様は「智慧に達した」と告げます


タイトルのHuṃhuṅka の意味
 *注釈書ではHuṃhuṅka とは傲慢と怒りの性格で、他人のことなら何でも否定・批難するバラモンに付けたあだ名です。
 *Huṃ-huṅ とは相手を否定・批難するときに使う 言葉(呼び名)です。


人は自分の考えにしがみつき、自分の見解(我見)を持って他を批難し、見解に捕らわれ精神の自由が失われています。 このようなバラモンの名前です。


 *注釈書では、初めて、お釈迦様にお会いしたバラモンではなく、お釈迦様が六年間悟りを開く前に苦行していた時に、五ビクと共に仕えていたが、その後務めを捨てて、ウルヴァーラーのセーナの町を一人で托鉢して暮らしていた時に、お釈迦様と出会い、お釈迦様のゴーダマとう姓を知っていたので、「友ゴータマよ」と呼びかけたとあります。




 1、1 第一の菩提の経~1.3 第三の菩提の経、1.4 大仰な者の経、2.1 ムチャリンダの経、3.10 世とともに経の4種類の物語はお釈迦様が菩提樹の根元で悟りを開き最初の説法(初転法輪)をする前のお話です
最初の説法は「転法輪転経」という、お経として伝わっていますが、その説法以前にお釈迦様がどのようなことを考えていたかを物語る重要な経典です
 このお話が史実かどうかは解りませんが、後の人々が十二縁起・無我・欲望を離れる・四聖諦・などを教えの根幹と考えていたことを確かめられる4種類の経典です

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