ウダーナ ~ ベスト・オブ・仏教

仏教ベスト盤 ~ ウダーナ ~ を翻訳・解説

ウダーナ ~ ベスト・オブ・仏教 第3章4サーリプッタの経(現代語訳・解説)


 3.4 サーリプッタの経(24)
 このように、わたしは聞きました。
 あるとき、お釈迦様は、サーヴァッティーに住んでおられた。
 ジェータ林のアナータピンディカ長者の聖園にて、尊者サーリプッタが、お釈迦様から遠く離れていないところ、瞑想姿で身体を真っすぐに立てて、心の集中点を眼前にすえて坐っていたのです。
 お釈迦様は、尊者サーリプッタが、遠く離れていないところに瞑想姿で、身体を真っすぐに立てて、心の集中点を眼前にすえて坐っているのをご覧になった。
  お釈迦様は、このことを知って、ウダーナを唱えました。


あたかも岩の山が揺れ動かず
しっかりと安定しているように
迷妄を滅したビクは
山のように動じることがない
(28)
    以上が第四の経となる。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 物語は、お釈迦様が尊者サーリプッタをご覧になって口にされた言葉です、これは、悟った方と、悟った方の対話です。
 悟りの境地の会話ですので、一般人が理解するのは難しい詩です。



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 



なにが書いてあるか


(直訳詩)
Yathāpi pabbato selo,
あたかも山の岩が
acalo suppatiṭṭhito;
動かず安定し
Evaṃ mohakkhayā bhikkhu,
迷妄が消滅するのが比丘であり
pabbatova na vedhatī”ti.
山のように、動じない


解 説


Yathāpi pabbato selo,
あたかも岩の山が揺れ動かず
 *ちりの山や土と石か混ざった山ではなく、一枚の岩のような山、という意味
acalo suppatiṭṭhito;
しっかりと安定しているように
 *根がしっかり張っていて、風により動かない
Evaṃ mohakkhayā bhikkhu,
迷妄を滅したビクは
 *mohakkhayā-迷妄の消滅(無明・愚痴の滅尽)
 *こころの動揺というのは、無明があるから、生命は眼・耳・鼻・舌・身・意に入り、
  色・声・香・味・触・法という情報を捏造して(認識対象を、ものごとを)知り、それ
  を貪・瞋・痴に合わせて認識します。ここで、こころが激しく動揺します。
  生命は好みのものを認識したい、そして私一人の主観で知る、私一人のために知る情報
  は、世界の情報は変わりません、情報は人の好みに合わせない、ですから眼・耳・鼻・
  舌・身・意に入る情報で動揺せざるを得ないのです。
  アラカンに達した聖者は完全に無明を破っています、無明を破った聖者は情報が触れて
  もこころの動揺が起こらなくなります。
pabbatova na vedhatī”ti.
山のように動じることがない
 *pabbatova-山のように
 *聖者と色・声・香・味・触・法(という情報と)の関係は、(聖者を)山に例えていま
  す、山にも雨風が触れます。しかし、動揺しない、サーリプッタ尊者がこころを止めて
  いたので、身体と心(の機能)が完全に停止状態であったので、一切の動きが止まって
  いたのです。
  そこで、お釈迦様に岩山のイメージが浮かんだのです。

×

非ログインユーザーとして返信する