ウダーナ ~ ベスト・オブ・仏教 第3章4サーリプッタの経(現代語訳・解説)
3.4 サーリプッタの経(24)
このように、わたしは聞きました。
あるとき、お釈迦様は、サーヴァッティーに住んでおられた。
ジェータ林のアナータピンディカ長者の聖園にて、尊者サーリプッタが、お釈迦様から遠く離れていないところ、瞑想姿で身体を真っすぐに立てて、心の集中点を眼前にすえて坐っていたのです。
お釈迦様は、尊者サーリプッタが、遠く離れていないところに瞑想姿で、身体を真っすぐに立てて、心の集中点を眼前にすえて坐っているのをご覧になった。
お釈迦様は、このことを知って、ウダーナを唱えました。
あたかも岩の山が揺れ動かず
しっかりと安定しているように
迷妄を滅したビクは
山のように動じることがない(28)
以上が第四の経となる。
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物語は、お釈迦様が尊者サーリプッタをご覧になって口にされた言葉です、これは、悟った方と、悟った方の対話です。
悟りの境地の会話ですので、一般人が理解するのは難しい詩です。
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なにが書いてあるか
(直訳詩)
Yathāpi pabbato selo,
あたかも山の岩が
acalo suppatiṭṭhito;
動かず安定し
Evaṃ mohakkhayā bhikkhu,
迷妄が消滅するのが比丘であり
pabbatova na vedhatī”ti.
山のように、動じない
解 説
Yathāpi pabbato selo,
あたかも岩の山が揺れ動かず
*ちりの山や土と石か混ざった山ではなく、一枚の岩のような山、という意味
acalo suppatiṭṭhito;
しっかりと安定しているように
*根がしっかり張っていて、風により動かない
Evaṃ mohakkhayā bhikkhu,
迷妄を滅したビクは
*mohakkhayā-迷妄の消滅(無明・愚痴の滅尽)
*こころの動揺というのは、無明があるから、生命は眼・耳・鼻・舌・身・意に入り、
色・声・香・味・触・法という情報を捏造して(認識対象を、ものごとを)知り、それ
を貪・瞋・痴に合わせて認識します。ここで、こころが激しく動揺します。
生命は好みのものを認識したい、そして私一人の主観で知る、私一人のために知る情報
は、世界の情報は変わりません、情報は人の好みに合わせない、ですから眼・耳・鼻・
舌・身・意に入る情報で動揺せざるを得ないのです。
アラカンに達した聖者は完全に無明を破っています、無明を破った聖者は情報が触れて
もこころの動揺が起こらなくなります。
pabbatova na vedhatī”ti.
山のように動じることがない
*pabbatova-山のように
*聖者と色・声・香・味・触・法(という情報と)の関係は、(聖者を)山に例えていま
す、山にも雨風が触れます。しかし、動揺しない、サーリプッタ尊者がこころを止めて
いたので、身体と心(の機能)が完全に停止状態であったので、一切の動きが止まって
いたのです。
そこで、お釈迦様に岩山のイメージが浮かんだのです。