ウダーナ ~ ベスト・オブ・仏教 第2章2 王の教(現代訳・解説)
2.2 王の経(12)
このように、わたしは聞きました。
あるとき、お釈迦様はサーヴァッティー(舎衛城)に住んでおられた。
ジェータ林のアナータピンディカ長者の聖園(祇園精舎)で食事のあと奉仕堂に集まって坐っている大勢の修行者に暇つぶし合間の論議が起こりました。
「マガダ国のセーニヤ・ビンビサーラ王とコーサラ国のパセーナディ王どちらの王が、財産があり、財物があり、蔵があり、領土があり、戦車があり、軍隊があり、権力があり、強い力があるのか」
修行者たちの暇つぶしの話は終わることがなかったのです。
お釈迦様は、夕刻時に瞑想から覚められて、奉仕堂のあるところに近づいて坐り、修行者たちに語りかけました。
「ビクたちよ、どのような話のために、集まって坐っているのですか。どんな話を続けていたのですか。暇つぶしの話とは、どのようなものですか」
「尊き方よ、食事のあと、托鉢から戻り、奉仕堂に集まって坐っている、わたしたちに、この暇つぶしの話が起こりました。『マガダ国のセーニヤ・ビンビサーラ王とコーサラ国のパセーナディ王どちらの王が財産があり、財物があり、蔵があり、領土があり、戦車があり、軍隊があり、権力があり、強い力があるのか』と、尊き方よ、わたしたちの暇つぶしの話です。そのとき世尊がおいでになったのです」と。
「ビクたちよ、良家の子息たちとして、信によって家を捨て出家したあなたたちにとって、ふさわしいことではありません。あなたたちが集まったときに、二つのなすべきことがあります。
法(教え)の話であるか、聖なる沈黙の状態であるかです」
お釈迦様は、このことを知って、ウダーナを唱えました
この世における欲望の安楽も
天におけるこの安楽も
渇愛のつきた安楽の
十六分の一にも値しない(14)
以上が第二の経となる。
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ビク達は話し合っていたのです。
テーマは 「マガダ国のセーニャビンビサーラ王とコーサラ国のパセナーディ王とではどちらが裕福だろう、どちらの方が財産は多いだろう」などなど
お釈迦様の答え:この話は出家に相応 ふさわしくない。
ビクが集まった時は、
dhammī vā kathā ariyo vā tuṇhībhāvo.
真理について語るか、聖なる沈黙を行うか、
どちらかにするべきなのです。
「どちらがより豊かで贅沢に過ごしているのでしょうかという題なので、幸福を決める基準が必要になります。」
それについて、お釈迦様は偈を唱えます。
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なにが書いてあるか
(直訳詩)
Yañca kāmasukhaṃ loke,
世間での欲望の楽しみは
yañcidaṃ diviyaṃ sukhaṃ;
さらには天での楽しみは
Taṇhakkhayasukhassete,
渇愛を滅する安楽の
kalaṃ nāgghanti soḷasiṃ”ti.
十六分の一にも値しない
解 説
Yañca kāmasukhaṃ loke,
この世における欲望の安楽も
yañcidaṃ diviyaṃ sukhaṃ;
天におけるこの安楽も
*何かに依存することで幸福を感じるます
*幸福度は、以前感じた不安・不満に(対して)対照的に感じる楽です。
Taṇhakkhayasukhassete,
渇愛のつきた安楽の
*幸福にしていても、より幸福だと思われる人に会うと、自分の幸福感が消えます
*依存する人も、依存の対象も変化するので、幸福は安定しません
*俗世間では幸福を感じることがあっても、満足できません
kalaṃ nāgghanti soḷasiṃ”ti.
十六分の一にも値しない
*何かを得ることで、何かに依存することで、何かに頼って幸福を感じます
*しかし、渇愛を滅尽することで、こころは何にも依存しない状態に達するので、究極の
幸福を感じます