ウダーナ ~ ベスト・オブ・仏教 第7章2第二のラクンダカ・バッディヤの経(現代訳・解説)
7.2 第二のラクンダカ・バッディヤの経(62)
このように、わたしは聞きました。
あるとき、お釈迦様は、サーヴァッティーに住んでおられた。
ジェータ林のアナータピンディカ長者の聖園で、尊者サーリプッタは、尊者ラクンダカ・バッディヤをいまだ学びが必要と思い、励まし、喜ばせます。
お釈迦様は尊者サーリプッタが、尊者ラクンダカ・バッディヤを、いまだ学びが必要と思いながら、さらにしっかりと、法話によって、教えられ、観(すす)められ、励まし、喜ばせているのを見ました。
お釈迦様は、このことを知って、ウダーナを唱えました
輪廻を断ち切った、無執着という境地に達した
干上がった川は流れない
断ち切られ廻輪しない
これで苦しみは終わります(75)
以上が第二の経となる。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
なにが書いてあるか
(直訳詩)
Acchecchi vaṭṭaṃ byagā nirāsaṃ,
輪廻の転起を断ち切り、欲がない
Visukkhā saritā na sandati;
干上がった川は流れない
Chinnaṃ vaṭṭaṃ na vattati,
断ち切られた輪廻は、転じない
Esevanto dukkhassā”ti.
これこそは、苦しみの終り
解 説
Acchecchi vaṭṭaṃ byagā nirāsaṃ,
輪廻を断ち切った、無執着という境地に達した
*Acchecc
*切る、という意味
*vaṭṭaṃ
*輪廻、という意味
*こころ、とは、一つの流れであり、その一つの現象が消えると次の現象を作ります。
生住滅をくりかえし、流れの途中で身体が滅びても流れ続ける現象を輪廻と言います。
こころは流れ続けます。
*なぜならば、今の現象に対して愛着・執着があるからです。
*執着がなくなると、こころの流れがストップします。
*byagā nirāsaṃ
*無終着という境地に達しました。
Visukkhā saritā na sandati;
干上がった川は流れない
*輪廻を川の流れに例えています。
*こころに認識の川がおそろしく流れているのです。だから、暴流(煩悩のこと)、激流
が流れているのです。
*絶えず、水が流れるのです。
*一般人のこころにはこのような認識の流れがあります。
*聖者のこころには概念の流れ(思考・妄想の流れ)がない。
Chinnaṃ vaṭṭaṃ na vattati,
断ち切られ廻輪しない
*輪廻(認識の回転でもあります)の回転は切った。
*再び流れる(回転する)ことはない。
Esevanto dukkhassā”ti.
これで苦しみは終わります
