ウダーナ ~ ブッダのつぶやき 第3章10世のなかの経 (普及版)
3.10 世のなかの経(30)
あるとき、お釈迦様は、ウルヴェーラーに住んでおられた。
ネーランジャラー川の岸辺の菩提樹の根元で最初の悟りをひらき、七日のあいだ瞑想姿で坐って悟りに浸っておられた。
お釈迦様は、七日が過ぎて心の統一から覚めて、悟りひとの眼で世のなかを見渡し生命が熱苦によって熱せられているのを、無数の苦しみによって焼かれているのを見ました。
貪りから生じるものによっても
怒りから生じるものによっても
迷いから生じるものによっても
お釈迦様は、ウダーナを唱えました
世のなかの人々は、満足できないで苦しむ
感覚が起こっているだけなのに、わざわざ病気だと言う
将来を思い描き、考えても、期待しても
思い通りにはならない
世のなかの人々は、流されるだけなのに、しがみつき
生きることを望み、生きることに挫折し、生きることを期待する
恐れが生まれるのは、生きる苦しみがあるから
生きる苦しみ、生きる欲を捨てるのに
清らかになる修行をする
修行者でも、かしこいひとでも、誰でも、生きることで、生きることの解放を言ったなら、すべてなんでもありであり、迷いから解放していないとわたしは説く
修行者でも、かしこいひとでも、誰でも、生きないことで、むだじゃむだじゃと言ったなら、すべてなんでもないであり、迷いから離脱していないとわたしは説く
この苦しみは、心の依り所を縁として生じる。
全ての執着を滅することで、苦しみは生まれない
世のなかの人々を見よ、無明に打ち負かされ生まれた生命であり、生きることを喜ぶ者であり、迷いの生から完全に解き放たれていない
迷いの生は、どこであれ、どのようなものでも、それらの生は、すべて無常であり、苦であり、変化するのである
このように、このことを
ありのままに、智慧をつかって観ていると
どうしても生きたいという欲は、捨てられる
すかした生きたくないという欲も、喜ばない
とにかく生きたいという欲を、全てなくすこと
欲を残りなく、なくせば悟りです
このように悟りひとは
欲がないので、さらなる生きることはもうない
まよいを、ふり切り
なんども生まれ変わった数えきれない生を、超えて悟りに達する