ウダーナ ~ ベスト・オブ・仏教

仏教ベスト盤 ~ ウダーナ ~ を翻訳・解説

ウダーナ ~ ベスト・オブ・仏教 第3章7帝釈天の布施の経(現代語訳・解説)


 3.7 帝釈天の布施の経(27)   
 このように、わたしは聞きました。
 あるとき、お釈迦様は、ラージャガハに住んでおられた。
 ヴェール林のカランダカ・ニヴァーパで、尊者マハーカッサパはピッパリ窟に住んでおられた。七日のあいだ、瞑想姿で坐っていたのです。その七日が過ぎ心の統一から覚めた尊者マハーカッサパは、こう思い立ったのです。
 「ラージャガハに托鉢に入ろう」
その時、五百ほどの天の神々が、余計なことを思ったのです。尊者マハーカッサパは、それらの五百ほどの天の神々の施しをことわり、朝早くに衣を着て鉢と衣料をもって、ラージャガハに托鉢のために入りました。
 その時、天の神々の王たる帝釈天(インドラ神)は、尊者マハーカッサパに托鉢の食を施すことをしたいと思い、布織職人に姿を変えて布を織り、アラカンの娘のスジャー(帝釈天の妻)は、梭(シャトル)を糸で満たしています。
 尊者マハーカッサパは、ラージャガハを歩々淡々と托鉢のために歩みながら、天の神々の王、帝釈天の住居のあるところに行き、天の神々の王、帝釈天は尊者マハーカッサパが、はるか遠くからやってくるのを見ました。家から出て尊者を出迎えて手から鉢を受け取って、家に入って飯を取り出して鉢を満たして、尊者マハーカッサパに施しました。その托鉢の食は、とびきりの汁があり、とびきりの香味があり、とびきりの味と香味があったのです。そこで、尊者マハーカッサパは、こう思ったのです。
 「このような食事を用意できる神通があるとは、この人は誰なのか」
尊者マハーカッサパは、こう思い。この者は、天の神々の王たる帝釈天である
それと解ると、天の神々の王、帝釈天にこう言ったのです。
 「コーシヤ(帝釈天)さん、これは、あなたがしたことですね、二度とこのようなことを
  してはいけません」
 「尊き方よ、カッサパよ、わたしたちにとっても功徳を積むことが必要なのです、わたし
  たちにとってもまた、功徳を積むことがつとめなのです」
天の神々たちの王たる帝釈天は、尊者マハーカッサパにご挨拶(あいさつ)して、宙に舞い上がり空中で、三回、ウダーナを唱えました。
 「ああ、布施が最高の布施が、カッサパにて見事になされた」「ああ、布施が最高の布施
  が、カッサパにて見事になされた」「ああ、布施が最高の布施が、カッサパにて見事に
  なされた」
 お釈迦様は、天界の声を聞く神通力で、天の神々の王帝釈天が、宙に舞い上がって、空中で、三回、ウダーナを唱えているのを聞いたのです。
 「ああ、布施が最高の布施が、カッサパにて見事になされた」「ああ、布施が最高の布施
  が、カッサパにて見事になされた」「ああ、布施が最高の布施が、カッサパにて見事に
  なされた」
   お釈迦様は、このことを知って、ウダーナを唱えました。


托鉢のみで生活する
他人に頼らず生き、他を養う義理がない
神々もうらやむ
煩悩がない安穏の心で常にきづきある人
(31)
       以上が第七の経となる。


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なにが書いてあるか


(直訳詩)
Piṇḍapātikassa bhikkhuno,
托鉢行者として糧を得る
Attabharassa anaññaposino;
自己を扶養し、養育することのない
Devā pihayanti tādino,
神々もそのような者を羨む
Upasantassa sadā satīmato”ti.
常に静かで、きづきある者を



解 説


Piṇḍapātikassa bhikkhuno,
托鉢のみで生活する
Attabharassa anaññaposino;
他人に頼らず生き、他を養う義理がない
 *Attabharassa 他人に頼らず生きる
 *anaññaposino; 他を養う義理がない。
Devā pihayanti tādino,
神々もうらやむ
Upasantassa sadā satīmato”ti. (31)
煩悩がない安穏の心で常にきづきある人を
 *Upasantassa 煩悩が無い安穏の心でいる
 *sadā satīmato 常にSati・きづきがある。

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