ウダーナ ~ ベスト・オブ・仏教

仏教ベスト盤 ~ ウダーナ ~ を翻訳・解説

ウダーナ ~ ベスト・オブ・仏教 第6章7スブーティの経 (現代訳・解説)


6.7 スブーティの経(57)
 このように、わたしは聞きました。
 あるとき、お釈迦様は、サーヴァッティーに住んでおられた。
 ジェータ林のアナータピンディカ長者の聖園において。尊者スブーティが、お釈迦様から遠く離れていないところで、瞑想姿で身体を真っすぐに立てて思考なき心の統一(無尋定)に入定して、坐っていたのです。
 お釈迦様は、尊者スブーティが、遠く離れていないところで、瞑想姿で身体を真っすぐに立てて思考なき心の統一に入定して、坐っているのを見ました。
  お釈迦様は、このことを知って、ウダーナを唱えました


思考を吹き飛ばし
ひとかけらもない状態にし
こころが形をつくらない状態になり
四つの束縛がなく、あるとないかは分からない
(70)    
          以上が第七の経となる。



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なにが書いてあるか


(直訳詩)
Yassa vitakkā vidhūpitā,
尋(思考)が砕破され
Ajjhattaṃ suvikappitā asesā;
内に残りなく善く整えられたなら
Taṃ saṅgamaticca arūpasaññī,
その執着の思いを形態の表象なく
Catuyogātigato na jātu metī”ti.
四つの束縛を渡り、生に行くことはない



解 説


Yassa vitakkā vidhūpitā,
思考を吹き飛ばし
 *vitakkā
 *考えること
 *vidhūpitā
 *台風の風に吹かれたような感じで、全ての思考を吹き飛ばす。全く何も無い状態にする
  のです。
Ajjhattaṃ suvikappitā asesā;
ひとかけらもない状態にし
 *やり方は自己観察なのです。思考・妄想がひとかけらも無い状態にするのです。
Taṃ saṅgamaticca arūpasaññī,
こころが形をつくらない状態になり
 *思考とは束縛なのです。何かに引っかかっているのです。
 *arūpasaññī・眼耳鼻舌身意のもの(感覚)に引っかからないのです。こころが形を作ら
  ない状態になったのです。
Catuyogātigato na jātu metī”ti.
四つの束縛がなく、あるとないかは分からない
 *Catuyogātigato 四つの束縛が無くなったのだから、その人はあるとかないとかはさっ
  ぱり分からない。
 *こころの中に起こりえる一切の概念を余すことなく捨てられ、執着を超え、(無色・特
  質は一切無い)涅槃を体験している人は四つの束縛を壊しているので、生を作らない。


四つの束縛(Catuyogātigato )
 ➀kāmayogo 色・声・香・味・触・法に依存すること(の束縛)
 ➁bhavayogo  存在欲(の束縛)
 ➂diṭṭhiyogo  見解を作る癖(くせ)(の束縛)
 ➃avijjāyogo  無明(の束縛)
  *涅槃を体験して入る人は、この四つの束縛を壊している



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伝 記  


スブーティ


 十大弟子のお一人で、決して言い争いをせず、だれよりも厚く供養を受けたと伝えられています。
 スブーティの父は、祇園精舎を寄進したスダッタ(須達)長者の弟である。叔父が、祇園精舎をお釈迦様に献納したとき、彼も参列して、お釈迦様の教えを聴いたことがある。そのとき、深く心を動かされ、ただちにお釈迦様に願い出て出家し、仏弟子となった。
 あるときスブーティは、ラージャグリハに行って説法をし、その説法に感激したビンビサーラ王は、スブーティのために小屋を寄進した。ところが、王はうっかりして、その小屋に屋根を葺かせるのを忘れていたのだ。
 スブーティは、文句一ついわず屋根のない小屋に住んだ。ところがその間一滴の雨も降らなかったのである。スブーティの徳を高く評価した天が、雨を降らせなかった、といわれている。何か月もの間、一滴の雨も降らなかったので、農民はじめ多くの人々が困った。こんなに日照りが続くのは、スブーティの小屋に屋根がないためではないか。人々は、そ
う噂するようになった。それに気づいた王は、急いで屋根を葺かせた。スブーティの小屋に屋根ができると、とたんに雨が降り始めたのである。早天に慈雨。多くの人々が救われたのであった。
 スブーティは、屋根のない小屋に何か月も住みながら、王に催促することもなく、王を恨むこともなかった。
 この世はすべて仮の姿、屋根があろうがなかろうが、スブーティ全くこだわらなかったのである。
 小屋を寄進した王の供養を、ただ厚く受けとっただけなのであろう。
「テーラガーター」第一を説く。


一 わたしの庵はよく葺かれ、風も入らず、快適である。天の神よ、思うがままに雨を降らせ。わたしの心はよく安定し、解脱している。わたしは努力をつづけている。天の神よ、雨を降らせ。
  尊き人・スプーティ長老はこのように詩句を唱えた。



十大弟子の一人として有名ですが、後代の大乗仏教以後に重んじられ、大乗仏教の般若経典では空をよく理解し、主にスブーティに仏が説かれたということにされている。仏教初期の頃は主要な人物ではなかったと現在は考えられています。

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