ウダーナ ~ ベスト・オブ・仏教

仏教ベスト盤 ~ ウダーナ ~ を翻訳・解説

ウダーナ ~ ベスト・オブ・仏教 第5章5斎戒の経(現代訳・解説)


5.5 斎戒の経(45)
 このように、わたしは聞きました。
 あるとき、お釈迦様はサーヴァッティーに住んでおられた。
東の聖園にあるミガーラ・マートゥの高楼(鹿母講堂:ミガーラの母のヴィサーカーが寄進した堂舎)で、お釈迦様は斎戒(布薩:ウポーサタ・地域内のビクが集まり戒律条項を読誦して自省する僧団行事)の日、ビク衆に囲まれ坐っておられたのです。
尊者アーナンダは、夜がふけ宵の口を過ぎると坐から立ち上がって、肩に上衣を掛けてお釈迦様のおられるところに合掌をしてお釈迦様にこう申し上げた。
 「尊き方よ、夜がふけ宵の口を過ぎました。ビク衆は長らく坐っています、尊き方よ、ビ
  クに戒条(波羅提木叉:パーティモッカ・悟りのために守ることがら)を説いてくださ
  い」
 このように言われたとき、お釈迦様は沈黙したままでした。
再び尊者アーナンダは、夜がふけ真夜中を過ぎると坐から立ち上がって、肩に上衣を掛けて、お釈迦様に合掌をして、こう申し上げた。
 「尊き方よ、夜がふけ真夜中を過ぎました。ビク衆は長らく坐っています。尊き方よ、ビ
  クに戒条を説いてください」
このように言われたとき、お釈迦様は沈黙したままでした
 三たび尊者アーナンダは、夜がふけ明け方を過ぎると坐から立ち上がって、肩に上衣を掛けて、お釈迦様のおられるところに合掌をして、お釈迦様にこう申し上げた。
 「尊き方よ、夜が更け真夜中を過ぎました。ビク衆は長らく坐っています。尊き方よ、ビ
  クに戒条を説いてください」
 「アーナンダよ、この衆は完全なる清浄でない」
尊者マハーモッガッラーナは、こう思ったのです。
 「いったい世尊はどの人物に関して、このように言ったのだろう。『アーナンダよ、この
  衆は清浄でない』」と。
尊者マハーモッガッラーナは修行者の僧団のすべての心を見とおして、その人物は戒を守らず悪法の者、不浄にして疑わしい行いをする、目的を隠し、修行者ではないのに修行者と名乗り、心まで腐り煩悩に満ちて生まれながら汚れた者でありながら、ビク衆の中に坐っている人物を見て坐から立ち上がってその人物に近づき、
 「友よ、立ちなさい。世尊はご存知です。あなたはビクたちと共にいてはいけないので
  す」
その人物は沈黙したままでした。
 再度、「友よ、立ちなさい。世尊はご存知です。あなたはビクたちと共にいてはいけない
  のです」
その人物は沈黙したままでした。
 三度、「友よ、立ちなさい。世尊はご存知です。あなたはビクたちと共にいてはいけな
  いのです」
その人物は沈黙したままでした。
 尊者マハーモッガッラーナはその人物の腕をつかんで門小屋の外に追い出して閂を掛けて、お釈迦様のところに近づき、こう申し上げた。
 「尊き方よ、あの者はわたしが追い出しました。この衆は完全なる清浄です。尊き方よ、 
  ビクに戒条を説いてください」
 「モッガッラーナよ、めったにないことです。モッガッラーナよ、はじめてのことです
  。腕を掴むまで愚か者が待っているとは」
お釈迦様は修行者たちに語りかけました。
 「ビクたちよ、これから後は斎戒もおこなわず、戒条を説くこともないでしょう。ビクた
  ちよ、あなたたちだけで、これから後は斎戒を行い、戒条を説くのです。ビクたちよ、
  場違いなことなのです。完全なる清浄でない衆のために斎戒を行い、戒条を説くことは
  ないのです。
  ビクたちよ、八つのものがあります。大海について、めったにないはじめての法(性
  質)があります。それらの法を見てアラカンたちは大海について喜び楽しみます、八つ
  とは。
 (1)ビクたちよ、大海は徐々に低くなり、徐々に傾き、徐々に深まり、いきなり急に深くなりません。
ビクたちよ、大海が徐々に低くなり、徐々に傾き、徐々に深まり、いきなり急に深くならないのが、大海の不思議、第一法(性質)です。
それを見てアラカンたちは大海を喜び楽しみます。
 (2)ビクたちよ、大海は一定していて海岸を超えることがありません。
ビクたちよ、すなわち、大海が海岸を超えることがないのが、大海の不思議、第二法(性質)です。
それを見てアラカンたちは大海を喜び楽しみます。
 (3)ビクたちよ、大海は死骸と共にせずその死骸を岸へと運び去り、陸へと打ち上げます。
ビクたちよ、大海は死骸と共にせずその死骸を岸へと運び去り、陸へと打ち上げます。ビクたちよ、これが、大海の不思議、第三法(性質)です。
それを見てアラカンたちは大海を喜び楽しみます。
 (4)ビクたちよ、ガンガー、ヤムナー、アチラヴァティー、サラブー、マヒーという大河が大海に流れ込めば、以前の名と姓を捨て大海という名で呼ばれる。
ビクたちよ、ガンガー、ヤムナー、アチラヴァティー、サラブー、マヒーという大河が大海に流れ込めば以前の名と姓を捨て大海という名で呼ばれる。ビクたちよそれらが、大海の不思議、第四法(性質)です。
それを見てアラカンたちは大海を喜び楽しみます。
 (5)ビクたちよ、河が大海に流れこみ空中からの雨が大海に落ちるとしても、大海の水の減少はなく増加もない。ビクたちよ、大海は、河が大海に流れこみ、空中からの雨が大海に落ちるとしても大海の水の減少はなく増加もない。
ビクたちよ、これが、大海の不思議、第五法(性質)です。
それを見てアラカンたちは大海を喜び楽しみます。
 (6)ビクたちよ、大海は一つの味であり、塩の味です。
ビクたちよ、大海は一つの味であり、塩の味です。これが、大海の不思議、第六法(性質)です。
それを見てアラカンたちは大海を喜び楽しみます。
 (7)ビクたちよ、大海は多くの宝玉があります――真珠、宝珠、ルリ、ほら貝、宝石、サンゴ、白銀、黄金、ルビー、メノウように。ビクたちよ、大海は、多くの宝玉があります――、真珠、宝珠、ルリ、ほら貝、宝石、サンゴ、白銀、黄金、ルビー、メノウように。 
ビクたちよ、大海に多くの宝玉があるのが、これらが大海の不思議、第八法(性質)です。
それを見てアラカンたちは大海を喜び楽しみます。
 (8)ビクたちよ、大海は大いなる生物たちが住んでいる――ティミ、ティミンガラ、ティミティミンガラのような大魚、アラカン、龍、ガンダッバ(音楽神)たちのような、百ヨージャナ(長さの単位・一ヨージャナは軛牛の一日の旅程距離)もの大きさの、二百ヨージャナもの大きさの、三百ヨージャナもの大きさの、四百ヨージャナもの大きさの、五百ヨージャナもの大きさの生物が、大海に住んでいます。
ビクたちよ、大海は大いなる生物たちが住んでいる――ティミ、ティミンガラ、ティミティミンガラのような大魚、アラカン、龍、ガンダッバ(音楽神)たちのような、百ヨージャナ(長さの単位・一ヨージャナは軛牛の一日の旅程距離)もの大きさの、二百ヨージャナもの大きさの、三百ヨージャナもの大きさの、四百ヨージャナの大きさもの、五百ヨージャナもの大きさの生物が、大海に住んでいます。ビクたちよ、これらが大海の不思議、第八法(性質)です。
それを見てアラカンたちは大海を喜び楽しみます。
 ビクたちよ、法(教え)と律について、八つのめったにないはじめての法(性質)があります。それらを見てビクたちは、「この法(教え)と律に(お釈迦様の教え)ついて喜び楽しみます。どのようなものが、八つのものなのですか。」
 「(1)ビクたちよ、大海は徐々に低くなり、徐々に傾き、徐々に深まり、いきなり急に
深くならないように、ビクたちよ、この法(教え)と律には、徐々に学びがあり、徐々に行があり、徐々に実践の道があり、いきなり急に完全な理解はありません。
ビクたちよ、この法(教え)と律には、徐々に学びがあり、徐々に行があり、徐々に実践の道があり、いきなり急に完全な理解がないのは、ビクたちよ、これが法(教え)と律についての不思議、第一の法(性質)です。
それを見てビクたちはこの法(教え)と律について喜び楽しみます。
 (2)ビクたちよ、大海は一定していて海岸を超えることがないように、ビクたちよ、弟子たちのための戒律であるなら、その戒律を、弟子たちは、生命を落としても、犯すことがありません。
ビクたちよ、弟子のために制定された戒律であるなら、その戒律を弟子たちが、生命を落としても犯すことがないのは、ビクたちよ、これが法(教え)と律についての不思議、第二の法(性質)です。
それを見てビクたちはこの法(教え)と律について喜び楽しみます。
 (3)ビクたちよ、大海が死骸と共にせず、その死骸を、岸へと運び去り、陸へと打ち上げるように、ビクたちよ、彼が、戒を守らず悪法の者、不浄にして疑い行う者、目的を隠し、サマナではないのにサマナと名乗り、ビクではないのにビクと名乗り、心まで腐り煩悩満ちて、生まれながら汚れた者なら僧団は、彼と共に住まない。すみやかに集まって罪を咎め、ビクの僧団の中に坐っていても、僧団から遠く離れることになり、僧団もビクに近づかない。
ビクたちよその人物が戒を守らず悪法の者、不浄にして疑い行う者、目的を隠し、サマナではないのにサマナと名乗り、ビクではないのにビクと名乗り、心まで腐り煩悩満ちて、生まれながら汚れた者なら、僧団は共に住まず、すみやかに集まって罪を咎め、ビクの僧団の中に坐っていても、僧団から遠く離れることになり、僧団もビクに近づかない。ビクたちよ、これが法(教え)と律についての不思議、第三の法(性質)です。
それを見てビクたちはこの法(教え)と律について喜び楽しみます。
 (4)ビクたちよ、ガンガー、ヤムナー、アチラヴァティー、サラブー、マヒーという大河が、大海に流れ込めば以前の名と姓を捨て大海という名で呼ばれる。
ビクたちよ、四つの階級の者、士族、バラモン、庶民、隷民ですが、彼らは、如来によって知らされた法(教え)と律において出家してそののちは、以前の名と姓を捨てて、まさしく、「サキャ族の者のサマナ」という名前へとなります。ビクたちよ、四つの階級の者たちである士族たち、バラモンたち、庶民たち、隷民たちですが、彼らが、如来によって知らされた法(教え)と律において出家してそののちは、以前の名と姓を捨てて、「サキャ族の者のサマナ」という名前へとなるのは、ビクたちよ、これが法(教え)と律についての不思議、第四の法(性質)です。
それを見てビクたちはこの法(教え)と律について喜び楽しみます。
 (5)ビクたちよ、河が大海に流れこみ空中からの雨が大海に落ちるとしても大海の水の減少もなく増加もないように、ビクたちよ、多くのビクたちが、身体という残りものがない涅槃の界域(無余依涅槃界)において、完全なる涅槃に到達するとして涅槃の界域の、減少もなく、増加もない。
ビクたちよ、多くのビクたちが、身体という残りものがない涅槃の界域において、完全なる涅槃に到達するとして、涅槃の界域の、減少もなく、増加もない。ビクたちよ、これが法(教え)と律についての不思議、第五の法(性質)です。
それを見てビクたちはこの法(教え)と律について喜び楽しみます。
 (6)ビクたちよ、大海が一つの味であり、塩の味であるように、ビクたちよ、この法(教え)と律は、一つの味であり、解脱の味です。
ビクたちよ、この法(教え)と律が、一つの味であり、解脱の味であるのは、ビクたちよ、これが法(教え)と律についての不思議、第六の法(性質)です。
それを見てビクたちはこの法(教え)と律について喜び楽しみます。
 (7)ビクたちよ、大海に多くの宝玉があります――真珠、宝珠、ルリ、ほら貝、宝石、サンゴ、白銀、黄金、ルビー、メノウように。ビクたちよ、この法(教え)と律は、多くの宝玉があります――それは、
四つのきづきの確立(四念処:身体と感受と心と法についてのきづき)、
四つの正しい精励(四正勤:既生の悪を断絶するべく励むこと・未生の悪を生起させないように励むこと・未生の善を生起させるように励むこと・既生の善を増大するべく励むこと)、
四つの神通の足場(四神足:意欲・専心・精進・考察)、
五つの機能(五根:信・精進・きづき・定・知慧)、
五つの力(五力:信・精進・きづき・定・知慧)、
七つの覚りの支分(七覚支:きづき・法の判別・精進・喜悦・安息・心の統一・放捨)、聖なる八つの支分ある道(八正道:正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定)のように。
ビクたちよ、この法(教え)と律が、多くの宝玉があるのは――それは、四つのきづきの確立、四つの正しい精励、四つの神通の足場、五つの機能、五つの力、七つの覚りの支分、聖なる八つの支分ある道のように、ビクたちよ、これが法(教え)と律についての不思議、第七の法(性質)です。
それを見てビクたちはこの法(教え)と律について喜び楽しみます。
 (8)ビクたちよ、大海が、大いなる生物たちが住んでいる――ティミ、ティミンガラ、ティミティミンガラのような大魚、アラカン、ナーガ、ガンダッバ(音楽神)たちのような、百ヨージャナ(長さの単位・一ヨージャナは軛牛の一日の旅程距離)もの大きさの、二百ヨージャナもの大きさの、三百ヨージャナもの大きさの、四百ヨージャナもの大きさの、五百ヨージャナもの大きさの生物が、大海に住んでいま。ビクたちよ、この法(教え)と律は、大いなる生物たちが住み、これらの生物たち――
預流たる者(預流果)、預流果の実証のために道を実践する者(預流道)、
一来たる者(一来果)、一来果の実証のために道を実践する者(一来道)、
不還たる者(不還果)、不還果の実証のために道を実践する者(不還道)、
アラカン(阿羅漢果)、アラカンの資質のために道を実践する者(阿羅漢道)がいます。
ビクたちよ、この法(教え)と律が、大いなる生物たちが住み、これらの生物たち――預流たる者、預流果の実証のために道を実践する者、一来たる者、一来果の実証のために道を実践する者、不還たる者、不還果の実証のために道を実践する者、アラカン、アラカンの資質のために道を実践する者がいるのは、ビクたちよ、これが法(教え)と律についての不思議、第八の法(性質)です。
それを見てビクたちはこの法(教え)と律について喜び楽しみます。
「ビクたちよ、まさに、これらが、この法(教え)と律について八つのめったにないはじめての法(性質)です。」それらを見てビクたちはこの法(教え)と律について喜び楽しみます。
  お釈迦様は、このことを知って、ウダーナを唱えました


屋根があるから雨が漏る
屋根がなければ雨漏はない
だから覆いをとり除け
そうすれば雨漏はない
(56)
   以上が第五の経となる。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 ある日アーナンダ尊者がお釈迦様に戒条を説くように願っても沈黙されたままだった、そこでモッガラーナ尊者が不浄な心の者を追い出しお釈迦様は説法をなさった。
とても有名な、お釈迦様の教えを大海に例えている経典、テーラワーダの法話でよく耳にするたとえです。
 仏教の紹介、現代で言うプロモ―ション映像のようなものです。よくよく読んでみると、さりげなく当時のインドでの主要な思想・哲学との比較がされています、巧みな喩えと合わせて味わってみるのもよいと思います。



教えを要約すればこうなります
(1)大海は徐々に低くなり、徐々に傾き、徐々に深まり、いきなり急に深くないように、仏教は段階的に智慧を完成するシステムです
(2)大海は一定していて、海岸を超えることがないように、仏教の戒律で優柔不断をなくす教えです
(3)大海が死骸と共にせず、その死骸を、岸へと運び去り、陸へと打ち上げるように、仏教は誰でも学べば出家できるが、汚れた心の人は外に出されます
(4)大海に、大河が流れ込めば、以前の名と姓を捨て、大海という名で呼ばれるように、仏教は肩書など関係なく平等な教えです
(5)大海に河が流れこみ、雨が大海に落ちても大海の水の減少もなく、増加もないように、涅槃とは減少も増加もないという例えです
(6)大海は、塩味のみであるように、仏教の目的はただ一つ、解脱です
(7)大海には多くの宝玉があるように、仏教のそれは三十七の教えと律です。その教えとは、四つのきづきの確立、四つの正しい精励、四つの神通の足場、五つの機能、五つの力、七つの覚りの支分、聖なる八つの支分です
(8)大海には大いなる生物たちが住んでいるように、仏教には優れた人々がいる。その優れた人々とは、―預流果、預流道、一来果、一来道、不還果、不還道、阿羅漢果、阿羅漢道です



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なにが書いてあるか



(直訳詩)
Channamativassati,
覆われたものに、雨が降る
vivaṭaṃ nātivassati;
開かれたものに、雨が降ることはない
Tasmā channaṃ vivaretha,
だから覆われたものを開くように
evaṃ taṃ nātivassatī”ti.
そうすれば雨がふることはない



解 説


Channamativassati,
屋根があるから雨が漏る
 *自我という屋根があるとき、煩悩という汚れが漏れるのです
vivaṭaṃ nātivassati;
屋根がなければ雨漏はない
 *自我の錯覚がない人に「自分」という隠すものは一切無いのです
Tasmā channaṃ vivaretha,
だから覆いをとり除け
 *自分という錯覚さえ無ければ、無制限、無量・無限の自由(解脱・涅槃)を経験する
evaṃ taṃ nātivassatī”ti.
そうすれば雨漏はない
 *悟りの境地を詩っています



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



(7)の三十七の教えとは、三十七菩提分法と呼ばれる、種々の実践道を列挙した教えで、①~⑦を合わせた数が三十七です。


 ①「四念処」とは、心を清らかにし、解脱するための冥想です。身体(身)の冥想から始めて、感党(受)の冥想に入り、心の冥想にも入って、なんのことなく真理(法)の冥想に進んでいきます。見事な組み立てになっています。
八正道の正念のこと。四念処の教えはパーリ仏典経蔵長部の第22経 、大念処教Mahāsatipaṭṭhāna-sutta,に詳しく記載されています。この教えで悟りをひらけると言われ、テーラワーダでは一般の人でもこの経典を覚え唱えている人も多く、信仰の対象のように大切にされている経典です、
 ②「四正精進」とは、四つの清らかな精進・努力のことで、仏教では努力は四つのみと教えています。この四つで、努力は完結するのです。四つとは、
・今やっている悪い行為をやめる努力
・いままでやったことのない悪い行為を絶対これからもやらない努力
・今やっている善い行為を完成させる努力
・いまだかつてやったことのない善い行為をする努力する。
世の中の人間の努力というのは、すべてこれら四つにまとめられるのです。
八正道の正精進のことです。
 ③「四神足」とは欲神足・勤神足・心神足・観神足のこと。
 ④「五根」とは、悟りへと向かわせるはたらきのこと
信・精進(正精進)・念(正念)・定(正定)・慧(聖正見)の五つの能力。
 ⑤「五力」とは、五根のはたらきが力強くなった、優れたはたらき
信・精進(正精進)・念(正念)・定(正定)・慧(聖正見)の五つの力。
 ⑥「七覚支」とは、覚りに必要な七つの要素で、いわば上級者向けの修行システムでもあります。念(正念)・択法(聖正見)・精進(正精進)・喜(正しい法を得て歓喜すること)・軽安(心身の軽快)・定(正定)・捨(正定)の七つです。
 ⑦「聖八正道」とは、涅槃に至るための八つの実践項目で、正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定の八つです。
 ここでリストアップした項目はすべて悟りに達するために必要な条件であり、この上なく貴重な宝物なのです。

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