ウダーナ ~ ベスト・オブ・仏教 第4章7 サーリプッタの経 (現代語訳・解説)
4.7 サーリプッタの経(37)
このように、わたしは聞きました。
あるとき、お釈迦様は、サーヴァッティーに住んでおられた。
ジェータ林のアナータピンディカ長者の聖園で、尊者サーリプッタが、お釈迦様から遠く離れていないところ、瞑想姿で身体を真っすぐに立てて、求むこと少なく、常に満ち足りていて世俗の事物から遠く離れ多くの人と不必要に交わらず、精進し、向上の心(瞑想)、に専念して坐っていたのです。
お釈迦様は、尊者サーリプッタが、お釈迦様から遠く離れていないところ、瞑想姿で身体を真っすぐに立てて、求むこと少なく、常に満ち足りていて世俗の事物から遠く離れ多くの人と不必要に交わらず、精進し、向上の心(瞑想)に専念して坐っているのを見ました。
お釈迦様は、このことを知って、ウダーナを唱えました
認識思考がなく、不放逸を実践する
聖者の沈黙の道を実践している
悩み苦しみがなく
きづきが常にあり、平安・安穏に達した人(46)
以上が第七の経となる。
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なにが書いてあるか
(直訳詩)
Adhicetaso appamajjato,
向上の心で怠らない人は、
Munino monapathesu sikkhato;
聖者の智慧の道で学ぶ
Sokā na bhavanti tādino,
尊者に愁いはなく揺らがない
Upasantassa sadā satīmato”ti.
常にきづきあり静まっている
解 説
Adhicetaso appamajjato,
認識思考がなく、不放逸を実践する
*Adhicetaso・
*五根の(働きによって行う)認識の範囲を超えた認識世界。認識思考がないというレベ
ルのこと
*見たもの・聞いたもの・香ったもの・味わったもの・身体に触れたものという五根の情
報にも、意(頭・心)の情報にも操られないということです
*appamajjato
*不放逸を実践する。(pamāda・心が操られている)
*瞬間的に変化して消える現象をその場、その場で観察すること。Satiの実践です
*サマタ瞑想をしても情報に操られている、禅定という体験に操られています、例えば神
と一体となったなど
*六根を同時に見るのは難しいので眼耳舌鼻身意のどれか一つで瞑想する、そのガイドが
大念処教です
*苦しいと思ったら、禅定で楽しいと思ったら、瞑想して自分がいると思ったら操られて
いる、appamajjatoは操られていない、つまり言葉(概念)は成り立たない状態。
Munino monapathesu sikkhato;
聖者の沈黙の道を実践している
*Munino 聖者・仙人。
*monapathesu sikkhato
*沈黙の道を実践しているという意味
*沈黙とはこころの思考・妄想がない空性(くうしょう)の状態です
*他宗教の修行方法で、何もしゃべらない、形式的に沈黙している苦行があり、この
ような人々ではない
Sokā na bhavanti tādino,
悩み苦しみがなく
*tādino・安穏・不動・揺らがない。反応しないという状態に達しているという意味で
す。
Upasantassa sadā satīmato”ti. (46)
きづきが常にあり、平安・安穏に達した人
*Upasantassa 結果として、平安・安穏に達した人。サーリプッタ尊者のことを言って
る。
*sadā satīmato きづきが常にある人。
*人は操られているのだから、ヴィパッサナー瞑想・きづきを実践して、瞬間でも操られ
ないようにする。だから、確認した瞬間だけ操られていないのです。
*Sokā na bhavanti・ 悩み苦しみがない
仏教が特別に推薦している解脱に達する唯一の道であるヴィパッサナー瞑想の状況、解脱の境地を、きづきの実践によって、こころの空性を保つ安穏に達した仙人に悩み苦しみがなく、瞬間、瞬間、変化生滅する現象を、その場、その場で確認するきづきの実践は、仏道の真髄であると説く偈です。