ウダーナ ~ ベスト・オブ・仏教

仏教ベスト盤 ~ ウダーナ ~ を翻訳・解説

ウダーナ ~ ベスト・オブ・仏教 第3章9技能の経(現代語訳・解説)

 


 3.9 技能の経(29)
 このように、わたしは聞きました。
 あるとき、お釈迦様は、サーヴァッティーに住んでおられた。
 ジェータ林のアナータピンディカ長者の聖園で、食事のあと托鉢から戻り、円形堂に集まって坐っている大勢の修行者に暇つぶしの合間の議論が起こりました。
 「友よ、誰が技能を知っているのだろう。誰がどのような技能を学んでいるのだろう。技
  能のなかでは、どの技能が最高なのだろう」
そこで、
ある者たちは、「象の技能が最高である」 ある者たちは、「馬の技能が最高である」
ある者たちは、「車の技能が最高である」 ある者たちは、「弓の技能が最高である」
ある者たちは、「剣の技能が最高である」 ある者たちは、「暗算の技能が最高である」
ある者たちは、「計算の技能が最高である」 ある者たちは、「数学の技能が最高である」
ある者たちは、「書写の技能が最高である」 ある者たちは、「詩作の技能が最高である」
ある者たちは、「処世の技能が最高である」 ある者たちは、「政治学の技能が最高である」
それらの修行者の、暇つぶしの話は終わることがなかったのです。
 お釈迦様は、夕刻時に坐禅から覚められ、円形堂のあるところに近づいて、設けられた坐に坐られました。お釈迦様は修行者に語りかけました。
 「ビクたちよ、どのような話のために、集まって坐っているのですか。終わることがなか
 ったあなたたちの暇つぶしの話とは、どのようなものですか」と。
 「尊き方よ、ここで、食事のあと托鉢し、円形堂に集まって坐っている、わたしたちに、
  暇つぶしの話が起こりました。友よ、いったい誰が、技能を知っているのだろう。誰
  が、どのような技能を学んでいるのだろう。
  技能のなかでは、どの技能が最高なのだろう」と。
そこで、
ある者たちは、「象の技能が最高である」 ある者たちは、「馬の技能が最高である」
ある者たちは、「車の技能が最高である」 ある者たちは、「弓の技能が最高である」
ある者たちは、「剣の技能が最高である」 ある者たちは、「暗算の技能が最高である」
ある者たちは、「計算の技能が最高である」 ある者たちは、「数学の技能が最高である」
ある者たちは、「書写の技能が最高である」 ある者たちは、「詩作の技能が最高である」
ある者たちは、「処世の技能が最高である」 ある者たちは、「政治学の技能が最高である」
 尊き方よ、これが終わることがなかった、わたしたちの暇つぶしの合間の議論です、
そのとき、世尊がおいでになったのです」
 「ビクたちよ、良家の子息たちとして、信によって家を捨て出家したあなたたちにとっ
  て、ふさわしいことではありません。あなたたちが集まったときに、二つのなすべきこ
  とがあります。
法(教え)の話であるか、聖なる沈黙の状態であるかです」
  お釈迦様は、このことを知って、ウダーナを唱えました



技能に頼ることも、利益を考えることもない
色・声・香・味・触・法という対象に聖者は頼らず
五取蘊なく、私なく、期待なく
慢を捨て、孤独で生活する
(33)
      以上が第九の経となる。



◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 よく似た物語が、2-2、3-3にもありますが、ウダーナという経典の目的が現れているように思えます。
 おそらく、入門前のビクや入門して間もないビクに向けての実践的な教え、心構えを伝えるために選ばれて、三回にわたり、説かれているように思います。


 ウダーナが編集された時代は、現在より数に対する関心が非常に強い時代です、この時代に大切なことは、三回繰り返すのが定型になっています、簡単に通り過ぎる教えには、思われません。
 2-2、3-3と三セットで学ぶのもよい方法です。



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なにが書いてあるか


(直訳詩)
Asippajīvī lahu atthakāmo,
技能によって生きるのでなく、軽やかで道理を欲す
Yatindriyo sabbadhi vippamutto;
機能を制し、すべての処で解脱した
Anokasārī amamo nirāso,
家なく、我執なく、欲なく、
Hitvā mānaṃ ekacaro sa bhikkhū”ti.
慢心を捨て、独り歩む、それがビク



解 説
Asippajīvī lahu atthakāmo,
技能に頼ることも、利益を考えることもない
 *技術に頼ることも、利益を考えることもない。
 *生きることに興味がない
Yatindriyo sabbadhi vippamutto;
色・声・香・味・触・法という対象に聖者は頼らず
 *六根に依存して知識を回転することが一般人です。色・声・香・味・触・法という対象
  に聖者が頼らないのです。
Anokasārī amamo nirāso,
五取蘊なく、私なく、期待なく
 *Anokasārī
  *okaとは家という意味ですけど、仏教では五取蘊という意味です。家を離れて再び生
   まれを作らない生き方です。(まず家を捨てる。それから自分自身の命を捨てる。五
   取蘊を捨てる。この世に残るのは色蘊・物質だけです。)
 *amamo 
 *私、私のという概念・考えがない。
 *nirāso
 *期待・希望などは一切ありません。
Hitvā mānaṃ ekacaro sa bhikkhū”ti.
慢を捨て、孤独で生活する
 *Hitvā mānaṃ
 *慢を捨ててということで、
 *慢心:他人とくらべ、思い上がり、自分を劣っていると思う心
 *ekacaro
 *孤独で生活する。

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