ウダーナ ~ ベスト・オブ・仏教

仏教ベスト盤 ~ ウダーナ ~ を翻訳・解説

ウダーナ ~ ベスト・オブ・仏教 第3章8托鉢の経(現代語訳・解説)

  


 3.8 托鉢の経(28)
 このように、わたしは聞きました。
 あるとき、お釈迦様は、サーヴァッティーに住んでおられます。
 ジェータ林のアナータピンディカ長者の聖園にて、食事のあと、托鉢からもどりカレーリの円形堂(迦梨羅講堂)に集まって坐っている、大勢の修行者に暇つぶしの合間の議論が起こった。
 「友よ、托鉢に出たビクが歩んでいると、
  眼に心地よいものを見ることがあります。耳に心地よい音を聞くことがあります。
  鼻に心地よい臭いを嗅ぐことがあります。舌に心地よい味を味わうことがあります。
  身に心地よい感触を感じたりすることがあります。
  友よ、托鉢しているビクは、人々から尊敬され、重んじられ、慕われ、捧げられ、うや
  ま われ、托鉢します。
  友よ、托鉢に出たビクは、歩んでいると、
  眼に心地よいものを見ることがあります。耳に心地よい音を聞くことがあります。
  鼻に心地よい臭いを嗅ぐことがあります。舌に心地よい味を味わうことがあります。
  身に心地よい感触を感じたりすることがあります。
  わたしたちもまた、人々から尊敬され、重んじられ、慕われ、捧げられ、うやまわれ
  、托鉢にするのです」
 修行者たちの暇つぶしの合間の議論は終わることがなかったのです。
 そこで、お釈迦様は夕刻時に坐禅から覚めて、カレーリの円形堂のあるところに近づいて、設けられた坐に坐られました。坐られてお釈迦様は、ビク衆に語りかけました。
 「ビクたちよ、どのような話のために集まって坐っているのですか。終わることがなかっ
  た、暇つぶしの話とはどのようなものですか」
 「尊き方よ、食事のあと托鉢から戻りカレーリの円形堂に集まって坐っているわたしたち
  に、暇つぶしの合間の議論が起こりました。
 「友よ、托鉢に出たビクが歩んでいると、
  眼に心地よいものを見ることがあります。耳に心地よい音を聞くことがあります。
  鼻に心地よい臭いを嗅ぐことがあります。舌に心地よい味を味わうことがあります。
  身に心地よい感触を感じたりすることがあります。
  友よ、托鉢しているビクは、人々から尊敬され、重んじられ、慕われ、捧げられ、うや
  まわれ、托鉢に歩みます。
  友よ、托鉢に出たビクが歩んでいると
  眼に心地よいものを見ることがあります。耳に心地よい音を聞くことがあります。
  鼻に心地よい臭いを嗅ぐことがあります。舌に心地よい味を味わうことがあります。
  身に心地よいう感触を感じたりすることがあります。
  わたしたちもまた、人々から尊敬され、重んじられ、慕われ、捧げられ、うやまわれ、
  托鉢して歩むのです」
 尊き方よ、これが終わることがなかった、わたしたちの暇つぶし話です。そのとき世尊がおいでになったのです」
 「ビクたちよ、良家の子息たちとして、信によって家を捨て出家したあなたたちにとっ
  て、ふさわしいことではありません。あなたたちが集まったときに、二つのなすべきこ
  とがあります。
 法(教え)の話であるか、聖なる沈黙の状態であるかです」
  お釈迦様は、このことを知って、ウダーナを唱えました


ビクは托鉢のみで生活する
他人に頼らず生き、他を養う義理がない
神々もうらやむ
他人の誉め言葉、称賛に頼らないなら
(32)
     以上が第八の経となる。


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 人々はいとも簡単に宗教を信じる。修行者を信じ、御利益を求めて布施・供養をするので、修行者たちが宗教は楽に生きる道であると勘違いして堕落します。
 この時代インドの宗教家の殆どは宗教を収入資源として使っていて、宗教組織は人々に経済的な負担になっていたのです。
そこで釈尊は法をこの細菌に感染しないように詳しい規則を設定したのです。



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なにが書いてあるか


(直訳詩)
Piṇḍapātikassa bhikkhuno,
托鉢行者として糧を得る
Attabharassa anaññaposino;
自己を扶養し、養育することのない
Devā pihayanti tādino,
神々もそのように羨む
No ce saddasilokanissito”ti.
名声と名誉に依存しないなら



解 説


Piṇḍapātikassa bhikkhuno,
ビクは托鉢のみで生活する
 *比丘が托鉢で生活する。(托鉢とは経済的負担がないという意味です)探し求めること
  はしない生き方です。鉢に落ちたものを肉体に欠けているならば摂る。
Attabharassa anaññaposino;
他人に頼らず生き、他を養う義理がない
 *Attabharassa  自己扶養(他に頼る必要はない)
 *anaññaposino  他を扶養しない(他に対して借りがない)、
  三つとも在家には難しい出家の生活です
Devā pihayanti tādino
神々もうらやむ
 *安穏に達した人(アラカン)は神々に好かれる。
 *人々(神々)は聖者に対して違和感を感じないという意味です
No ce saddasilokanissito
他人の誉め言葉、称賛に頼らないなら
 *他人の誉め言葉、称賛に頼らない
 *解脱に達した人には、他人の言葉の影響は成り立たないという意味です


「ビクたちよ、あなたたちが集まったときに、二つのなすべきことは、法(教え)の話であるか、聖なる沈黙の状態であるかです」


そういうことで、お釈迦様が解脱者は、自由(完全たる自由)を詠った。

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