ウダーナ ~ ベスト・オブ・仏教

仏教ベスト盤 ~ ウダーナ ~ を翻訳・解説

ウダーナ ~ ベスト・オブ・仏教 第2章9ヴィサーカーの経 (現代語訳・解説)

 ウダーナという経典は、全体で8章あり、1つの章に10経あり、1つの教は詩と物語で構成されています。
 今月は第2章を記載してきました、第2章1教から9経を並べて見ると、起承・転・(結)と並んでいるのが解ると思います。
 第2章のテーマは、「苦と楽」です、第2章を順番に真に理解していけば、結論で「苦と楽」を入口に悟りまで導くように、お釈迦様の言葉を後の方々が物語という説明を加えて構成したのがウダーナです。
 次回は第2章の結論を記載します。


 2.9 ヴィサーカーの経 
 このように、わたしは聞きました。
 あるとき、お釈迦さまは、サーヴァッティーに住んでおられた。
東の聖園にあるミガーラ・マートゥの高楼(鹿母講堂:ミガーラの母のヴィサーカーが寄進した堂舎)で、コーサラ国のパセーナディ王が、ミガーラの母のヴィサーカーの願いに、応じてくれなかった。
ミガーラの母のヴィサーカーは、朝早くから、お釈迦様のところに行き、お釈迦様にご挨拶(あいさつ)して、かたわらに坐わった。
ミガーラの母のヴィサーカーに、お釈迦さまは、こう語りかけた。
 「ヴィサーカーさん、なぜ朝早くからやってきたのですか」
 「尊き方よ、コーサラ国のパセーナディ王は、わたしの願いに応じてくれませんでした。」
  お釈迦様は、このことを知って、ウダーナ唱えました


他人に頼ることは、すべて苦である
自ら決めることは、すべて安楽である
共通の決まりに、打ちのめされる
束縛に打ち克つのは、難しい
(23)
     以上が第九の経となる。



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なにが書いてあるか


(直訳詩)
Sabbaṃ paravasaṃ dukkhaṃ,
他人に頼ることは、すべて苦である
Sabbaṃ issariyaṃ sukhaṃ;
自ら決めることは、すべて安楽である
Sādhāraṇe vihaññanti,
共通に、打ちのめされる
Yogā hi duratikkamā”ti..
もろもろの束縛は、越えがたい




解 説


Sabbaṃ paravasaṃ dukkhaṃ,
他人に頼ることは、すべて苦である
 *楽しみを求める為にはテレビを見る、人付き合いなど、なんらかの形で世間(社会)と
  つながることです、それは他人に頼るということです。
Sabbaṃ issariyaṃ sukhaṃ;
自ら決めることは、すべて安楽である
 *仏道とは、他人に頼らずに、楽しみを見つけることです、それは私という錯覚をなくす
  道です、つまり、自ら決めることです
Sādhāraṇe vihaññanti,
共通の決まりに、打ちのめされる
 *Sādhāraṇeとは、裁判をすることです、当時のインドの王の務めの一つは、裁判を行う
  こと、当時の裁判は、力の強い者が有利で公平を保つのが難しい場所だったのです。
 *世間の人々は、不公平に、打ちのめされるという意味
Yogā hi duratikkamā’’ti.
束縛に打ち克つのは、難しい
 *Yogāは結ぶ、世間とのつながりいう意味


 ストーリーのヴィサーカ夫人は世間では有能な、顔の広い、一見幸福な人物です、その状況を見ての、聖者であるお釈迦様のウダーナです
 ウダーナという経典は、このように聖者の心を集めた経典です。
 


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伝 記


ヴィサーカー
幾多の女性信者のうちで特筆すべき、「ミガーラの母ヴイサーカー」。彼女は教団に布施し、世話をした人々のうちでも最上の女人と呼ばれている。彼女は理想的な女人と仰がれていた。
 東方のアッガ国のバッディヤ市のダナンジャヤ長者の子であった。七歳のときお釈迦様がこの地を訪れたので、お釈迦様から親しく教えを聞き、すぐさまあるさとりの境地(預流果)に達したという。
 そのうち一家はコーサラ国のサーケークに移り住んだが、彼女は、髪の毛も、唇も、歯も、容色も美しく、青春の若さを身に兼ね備えていたので、この地の長者であるミガーラの息子プッナヴァッダナと結婚した。
 結婚式にあたって舅ミガーラは裸形外道(ジャイナ教の修行者たちか?)を招待しようとしたが、彼女はこれをしりぞけて、舅(しゅうと)をついに仏教の信仰に帰依させた。お釈迦様に帰依するにいたったミガーラは、喜んで、
このように信仰に導いてくれたそなたは、今日から、わが母である。といった。家族一同もお釈迦様に帰依するにいたった。
世問の人々も彼女を「ミガーラの母」と呼んだ。
 彼女は布施につとめたということで有名で。一日に五百人のビクに供養したという。
終生在俗仁女として身を終えたが、強大な経済力を有していた。
 サーヴァッティー市の東門の外に東園と名づけられる林園があったが、そこにヴェサーカー夫人は、九億金を投じてその上地を買い、また九億金を投じて精舎を建てた。また他の伝えによると、二十七億金を投じて、東園精舎を建立したという。
鹿子母の建てた精舎は、サーヴァティー市の東方にあったので、東の精舎と呼ばれた。南方にあったスダッタ長者(アナータピィンティカ)の寄進した祇園精舎とともに、コーサラ国でのお釈迦様の二大根拠地となった。



パセーナディ王
 ブラフマダッタ、もしくはマハーコーサラ前王の子といわれる。タキシラに学んだのち王位に就く。お釈迦様の成道年に即位したという。実妹のコーサラ・デーヴィーをマガダ国のビンビサーラ王に嫁がせてカーシー国を持参金とした。マガダ国と並ぶ中インドの2大強国の王。
 妃や子供の名前は仏典によって差異があり一致しない。複数の妃がいたとも考えられ、マッリカー夫人(ウダーナ5-1経)は第二妃とも、第一妃とも言われる。王子がいたが、中でもジェータ太子とヴィドゥーダバ太子の2人が有名。ジェータ太子は自身が所有する林園をスダッタ長者(アナータピンディカ)に譲って祇園精舎が建てられたことで知られる。

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