ウダーナ ~ ベスト・オブ・仏教

仏教ベスト盤 ~ ウダーナ ~ を翻訳・解説

ウダーナ ~ ベスト・オブ・仏教 第2章5在俗の信者の経 (現代語訳・解説)

 


 2.5 在俗の信者の経(15)  
 このように、わたしは聞きました。
 あるとき、お釈迦様は、サーヴァッティーに住んでおられた。
ジェータ林のアナータピンディカ長者の聖園にて、あるひとりのイッチャーナンガラ村の在俗の信者がサーヴァッティーに着いたのです。用事があってその在俗の信者は、サーヴァッティーでその用事を済ませて、お釈迦様にご挨拶(あいさつ)して、かたわらに坐りました。その在俗の信者にお釈迦様は、こう話しかけた。
 「あなたは長い時間かかって、ここにやってきたのですね。」
 「尊き方よ、わたしは長いあいだかけて、世尊にお目にかかるため参りました。あれやこ
 れやと用事があり、多忙でありまして、わたしは世尊にお目にかかることが出来ませんで
 した
  お釈迦様は、このことを知って、ウダーナを唱えました


人々は人々に執着している
所有物がある人々は悩み苦しみに陥っている
真理をよく学んで見極めている人には
何一つの所有物からも楽しみは感じない
(18)
     以上が第五の経となる。  
(日本語訳は趣旨を明確にするために順番を変えています)


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
 


 「長い時間かかって来たのですね」と声をかけた、お釈迦様
 「用事があり、多忙であってお会いできませんでした」と話した、一般の信者さん
 こんな会話は毎日どこかで交わされているでしょう、今日もあったかもしれませんし、
二千六百年前のお釈迦様の時代も同じというお話


次の2-6 とは対になっている内容です


 世間の人々が、束縛、執着、義務、用事などで忙しいことがあることで充実感・喜びを感じるが、聖者には何一つも喜びの対象ではありません、このことを前提に読んでください。



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なにが書いてあるか
(直訳詩)
Sukhaṃ vata tassa na hoti kiñci,
何であれ所有物から楽はない
Saṅkhātadhammassa bahussutassa;
法をよく学びよく聞く人には
Sakiñcanaṃ passa vihaññamānaṃ,
もの持つ人を見よ、害われている
Jano janasmiṃ paṭibandharūpo’’ti.
人は人の存在や関係に縛られている



解 説


Sukhaṃ vata tassa na hoti kiñci,
所有物がある人々は悩み苦しみに陥っている
Saṅkhātadhammassa bahussutassa;
真理をよく学んで見極めている人には
 *Saṅkhātadhammassa
 *Dhamma とは、法、真理、現象となります。
 *Saṅkhāta とは、ありのままに観察して見極めていること。
 *法、真理、現象を見極めていることです。
 *bahussutassa
  *学識があること。この場合は真理を学んでいることです。
Sakiñcanaṃ passa vihaññamānaṃ,
何一つの所有物からも楽しみは感じない
 *Sakiñcanaṃ
  *自分に色々用事あること。やるべきことがある。所有するものがあるという意味で使
   います。
 *vihaññamānaṃ
  *悩んでいる、困っている、 苦しんでいる。特に精神的な悩みです。
Jano janasmiṃ paṭibandharūpo’’ti.
人々は人々に執着(愛着)している
 *人は人に結ばれている。束縛されていること。
 *人は無執着を嫌がり、関係を築く(世間とつながる)ことは成功だと思うという意味


 この詩のポイントは、世間は結び、関係、束縛、執着などから楽しみ・幸福・成功を期待するが、それこそが悩み、苦しみの種であると知らない。気づいても無視する。ということです

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