ウダーナ ~ ベスト・オブ・仏教

仏教ベスト盤 ~ ウダーナ ~ を翻訳・解説

ウダーナ ~ ベスト・オブ・仏教 第1章5バラモンたち(副読本・Ⅱ)


カッチャーナ尊者 (ウダーナ7-8、5-6にも登場)
 仏弟子のうちでも、「論議第一」といわれているが、経典のうちでも主として哲学的議論を述べている部分に登場する。仏教教理の深遠難解な事項を理解し、また論議して、人々に説いて聞かせた。仏教教団では、年日の経過とともに、次第に伝道活勁が重視されるようになったが、初期仏教の伝道に特に功績の大きかった。そして、教えをわかりやすく説くことに長けていたカッチャーナは、辺境で布教をしていたため、さまざまな障害を乗り越えなければならなかった。なかでも授戒の問題は深刻だった。これから紹介する話は、カーティヤーヤナの辺境での苦労を伝えるとともに、戒律に対するお釈迦様の柔軟な姿勢を物語っている。カッチャーナは、コーサラ国のはるか西、アバンティ国で、布教をしていた。
 あるとき、彼の侍者であるソーナ・コーティカンナという青年が、自分も出家して修行の生活を送りたいと言いだした。だが、仏教教団に入り出家者としての生活をするためには、具足戒という僧の守るべき戒を受けねばならない。その儀式には、3人の師と7人の比丘(出家者)の証人がなければならない。つまり10人の出家者が必要だった。ところが、アバンティ国には、憎がほとんどいない。だが、カッチャーナは苦労の未、なんとか10人の僧を集め、ソーナに戒を授けて出家させてやったのであった。出家したソーナは、お釈迦様に会いたいという望みを叶えるべく、許されて旅立つことになった。そのとき、カーティヤーヤナは、ソーナにこう言った。
 「ソーナよ、世尊に会ったらこのように伝えてほしい。遠い異境の地では、僧の数がきわめて少ない。どうかこれからは、具足戒を授ける僧の数を減らすことをお許しください、と」長い旅をつづけ、祇園精舎に着いたソーナは、お釈迦様に会ってカーティヤーヤナ
の伝言を告げた。ソーナの言葉に耳を傾けていたお釈迦様は、静かに言った。
 「アバンティ国においては、5人の僧によって具足戒を授けることを許そう」そのほか、文化や自然環境の違いで、守ることの難しい2、3の戒を、その風土に合わせて改めることを許したのである
 テーラガーターにこのようなことばが伝わっています。
四九四 多くの〔世俗の〕仕事をしてはならない。人々を避けよ。〔雑な縁をつくり出すために〕努め励んではならない。がつがつして味に耽溺する者は、幸せをもたらす目的を失う。
四九五 実に、かれら(修行者)は、良家の人々から、つねに受ける礼拝と供養とは、汚泥のようなものであると知っている。細かな(鋭い)矢は抜きがたい。凡人は〔他人から受ける〕尊敬を捨てることは難しい。
四九六 他人の行ないに依存して人の業(行ない)が悪業であるのではない。〔それだから〕みずからその悪い行ないを行なってはならない。なんとなれば、人々は〔自分自身の〕業の親族なので あるからである。
四九七 人は、他人のことばによって(他人が「お前は盗んだ!」といったからとて)盗人であるのではない。人は、他人のことばによって聖人であるのではない。自分がその人のことを知っているように、神々もまたかれのことを知っている。
四九八「われらは、この世において死ぬはずのものである」と覚悟をしよう。このことわりを他の人々は知っていない。しかし人々がこのことわりを知れば、争いはしずまる。
四九九 智慧のある人は、たとい財産を失っても、生きてゆける。しかし智慧をもっていなければ、たとい財産のある人でも、〔実は〕生きてはいないのである。
五〇〇 耳であらゆることを聞き、眼であらゆることを見る。思慮ある人は、見たこと、聞いたことをすべて斥けてはならない。
五〇一 眼ある人は、盲人のごとくであれ。耳ある人は、聾者のごとくであれ。智慧ある人は、愚鈍なる者のごとくであれ。強い者は弱い者のごとくであれ。もしも目的が達成されたならば、死者の臥床によこたわれ。
大カッチャーナ長老


マハーコッティカ尊者
 田舎衛城の金持のバラモンの家に生まれ、三ヴェーダに通暁する教養あるバラモンであったが、ブッダの出世を聞いて帰仏し、さとりを得る。
 サーリブックやマハーモッガラーナなどの大弟子とともに、祇園の講堂にブッダに侍して夜を明かす。またサーリプッタとの種々の問答が、多くの初期仏教経典に登場する。多くの仏弟子のなかで、かれは得解第一と称される。        
「テーラガーター」
二 かれは、心が静まり、(欲望が)止み、思慮して語り、ざわざわすることなく、悪いことがらを吹き払う。- 風が木の葉を吹き払うように。
  尊き人・マハーコッティカ長老は、このように詩句を唱えた。
下記の「テーラガーター」はサーリプック尊者がマハーコッティタ尊者を賞賛した詩といわれる
一〇〇六 かれは、こころ静かに、やすまり、思慮して語り、心が浮つくことなく、もろもろの悪しき性質を吹き払う。― 風が樹の葉を吹き払うように。
一〇〇七 こころ静かに、やすまり、思慮して語り、心が浮つくことなく、もろもろの悪しき性質を吹き捨てよ。 ― 風が樹の葉を吹き捨てるように。
一〇〇七 こころ静かに、煩労なく、心が清く澄んで、けがれなく、性行が良く、聡明であり、苦しみを滅ぼす者であれ。



マハーカッピナ尊者
 クックタという辺国の町の王族に生まれ、父についで即位した。師を求めて四方に人を派遣したところ、商人からブッダ(目覚めた人)が祇園精舎にいるのを聞いて大いに喜び、ブッダを求めて東方に行く。その途中お釈迦様に出あい、仏教に帰依して、さとりを得る。
「テーラガーター」五四七~五五六を説く。
五四七 未来の、ためになることでも、ためにならないことでも、両者をあらかじめ見ている人について、その欠点を探し求めていながら、敵も味方も〔実は〕見ていないのである。
五四八 ブッダの説かれたとおりに、呼吸を整える思念をよく修行して、完成し、順次に実践して来た人は、雲を脱れた月のように、この世を照らす。
五四九 実にわたしの心は浄らかで、限り無く、よく修養され、真理に通達し、抑制されていて、あらゆる方角を照らす。
五五〇 知慧のある人は、たとい財産を失っても、生きて行ける。しかし知慧をもっていなければ、たとい財産のある人でも、〔実は〕生きてはいないのである。
五五一 智慧は、聞いたことを考えて見分ける。知慧は、名誉と名声とを増大する。知慧のある人は、この世でもろもろの苦しみのなかにいても、楽しみを見出す。
五五二 これは今日だけの定めではない。奇妙でもないし、不思議でもない。- 生まれたならば死ぬのである。そこに何の不思議があろうか。
五五三 生まれたものには、生の次に必ず死がある。生まれ、生まれて、ここに死す。実にいのちあるものどもは、このような定めがある。
五五四 けだし、他の人々が生きるために役立つことは、死者のためにはならない。死者を嘆き悲しんで泣くが、それは名誉でもないし、世のほまれとなることでもないし、修行者やバラモンたちの称讃することでもない。
五五五 泣き悲しむならば、眼と身体を害ない、容色と力と知能は衰える。その人の敵どもは喜び、かれの味方は楽しくない。
五五六 それ故に、家に住んでいる聡明な学識ある人々を望むべきである。そのわけは、かれらの知慧の威力によって、なすべきことをなし終えるからである。- 水の満ちた河を船で渡るように。
   大カッピナ長老



マハーチュンダ尊者
 山マガダ国のナーフカ村のバラモン出身。サーリブックの弟に当たる・出家して熱心に努め、さとりを得た。
「テーラガーター」一四一、一四二を説く。
一四一 聞こうと欲するならば、聞いたこと(学識)を増大する。聞いたこと(学識)は、知慧を増大する。知慧によって道理を知る。道理を知ったならば、楽しみをもたらす。
一四二(修行者は、人々から離れて)孤独で坐臥することを習え。煩悩の束縛からの離脱を行なえ。もしもそこに楽しみを見出し得ないならば、己れを護り、よく気をつけながら、サンガ(教団)の中に住め。
   マハーチュンダ長老



アヌルッダ尊者
 お釈迦様は、いつものように弟子や多くの信行たちに教えを説いていた。人々は、熱心にその声に耳を傾けている。すると、そのなかに。一人うとうとと居眠りをする者がいるではないか。アヌルッダであった。
 お釈迦様は、説法が終わると、アヌルッダを近くに呼び寄せて言った。「お前は、法を求めて出家したはずではないか。にもかかわらず、説法の最中に居眠りをしてしまう。どうしたのかね」「申しわけございません。気が緩んでおりました。今から、たとえこの身が溶けてただれようとも、決して釈尊の前で眠るようなことはいたしません」 アヌルッダは、お釈迦様のまえにひざまずき合掌して誓ったのであった。
 以米、アヌルッダはお釈迦様のそばにいる間、夜更けでも夜明けでも決して眠らなかった。極端な修行を否定して中道を唱え、悟りへの道を歩んだお釈迦様は、さすがに心配して声をかけた。
「アヌルッダよ、怠けることはもちろんよくないが、極端な修行もいけません。さあ、お眠りなさい」
 だが、お釈迦様の前で立てた誓いを、アヌルッダはどうしても破る気にはなれなかった。そのために眼が悪くなった。お釈迦様は、医師のジーヴァカにアヌルッダの眼の治療を頼んだ。だが、はじめから眠ろうとしない者には、いかに名医といえども手の打ちようがなかった。
「すべてのものが食事を摂ることによって存在している。耳には声が食事であり、鼻には香りが食事である。そして、眼には眠りが食事なのです。アヌルッダよ、もうお眠りなさい」アヌルッダの決意は固く、決して眠ろうとしなかった。そのため、とうとう失明してしまったのである。
 視力を失って、何も見えなくなってしまったとき、アヌルッダの永遠の真理を見る智慧の眼は明るく開かれたのであった。これがアヌルッダの求めていたものだったのかもしれない。
 お釈迦様の臨終にどれだけの人が立ち会ったか詳細不明であるが、アーナンダとともにアヌルッダのいあわせたことは確かです。
 アヌルッダは、仏弟子のうちでは「天眼第一」といわれ、障擬を超えて見通す不思議な神通力をもっていたという。
 アヌルッダに関する伝説は、種々さまざまで、かならずしも一致しない。古い伝えによると、アヌルッダはシャカ族に生まれたが、かつては〔前世には〕貧しい食物運搬人であった。しかしかれは出家して、五十五年間常坐不臥の行を修して、ものうさを滅ぼし、ヴァッジ族のヴェールヴァ村の竹林でなくなった。
 他の所伝によると、仏教信者マハーヤーナの弟で、お釈迦様の従弟にあたる。お釈迦様の教えを聞いている最中に居眠りをして、叱責を受け、それ以後、不眠の誓を立てて、精進したから、ついに失明した。だが、天眼(=智慧の眼)を得たという。
かれは、クシナーガルでお釈迦様が入滅したときに、その場にいあわせて、お釈迦様の入滅を嘆いた。しかしお釈迦様の死の直後に、慟哭し悲嘆する弟子たちに慰められて激励したという。
アヌルッタはアーナンダよりも明らかに先輩であった。お釈迦様の入滅のときに、「クシナガリーに住むマッラ族の人々に告げよ」とアーナンダに命令している。
 アヌルッダ尊者に関しては、ある女神との次の対話が伝えられている。


一 あるときアヌルッダ尊者は、コーサラ国のうちのある林の荒地にとどまっていた。
二 ときに、昔はアヌルッダ尊者の妻であって今は三十三天の神々のうちの一人となって
いるジャーリニーという女神が、アヌルッダ尊者に近づいた。
三 近づいてから、アヌルッダ尊者に詩をもって語りかけた。-「むかしあなたが住んで
おられましたところ、― 一切の欲楽をかなえた三十三天に生まれようとの願い起こしな
さいませ。
そこであなたは天女たちに恭しく敬われとりまかれて輝いておられました。」
四〔アヌルッダいわく〕
「わが身の思いにとらわれている天女たちは、禍いである。
天女たちを求める人々も、禍いである。」
五〔ジャーリニーいわく、-〕
世にほまれある三十三天の人々および神々の住居であるナンダナ園を見ない人々は、楽
しみなるものを知っていない。」
〔アヌルッダいわく-〕
「愚かな女よ。そなたは敬わるべき人々(=ブッダたち)のことばがどんなものであるかを理解していない。―
『つくられたものはすべて無常である。生じてはまた滅びる性質のものである。それらは生起しては滅びる。それらの静まった安らぎこそ安楽である』と。
ジャーリニー(罠にかける女)は、もはや神々の群れのうちに再び住むということはない。生まれを繰り返す迷いの生存はもはや滅ぼし尽くされた。いまや再び迷いの生存は存在しない。」 (サンユッタニカーヤ 1,9、6.)
またアヌルッダの生活および思想が『テーラガーター』第八九二詩以下に述べられている。
八九二 母と父、姉妹・親族・兄弟を捨て、五つの欲望の対象を捨て去って、アヌルッダは瞑想にふける。
八九三 舞踏や歌謡になじみ、お金の音に目をさまし、悪魔の境界を楽しんでいたので、わたしはそれによって清浄に達することはできなかった。
八九四 (しかるに今では)これをのり超えて、ブッダの教えを楽しみ、あらゆる激流をのり超えて、アヌルッダは実に瞑想にふける。
八九五 快美なるいろかたち・音声・味・香り・触れられるもの、- これらをのり超えて、アヌルッダは実に瞑想に耽る。
八九六 聖者は托鉢から帰って来て、伴もなく、独りでいる。汚れなきアヌルッダはボロの布切れを探し求める。
八九七 思慮あり汚れなき聖者アヌルッダは、ボロの布切れを選び、取り、洗い、染めて、〔綴じて〕着た。
八九八 欲が深くて、満足することなく、人々と交際し、浮ついている人がいる。その人には、これらの汚れた悪い性質が存する。
八九九 しかるに、心を落ちつけていて、欲が少なく、満足していて、心が散乱することなく、人々から述ざかり離れることを楽しみ、心に喜び、つねに精励努力している人がいる。
九〇〇 その人には、さとりにみちびく助けとなるこれらの善い性質が存する。かれは汚れのない者である、と大仙人(ブッダ)は説かれた。
九〇一 世問における無上の師は、わたしの意向を知って、神通力によって、心のはたらきだけで、現わし出した身体をもって、近づいてこられた。
九〇二 わたしが〔あれこれと〕思慮をめぐらしていたときに、それよりも以上のことを〔師は〕説かれた。妄想しないことを楽しむブッダは、〈妄想することのない境地〉を説かれた。
九〇三 わたしはブッダの説かれる真理を知って、教えを楽しんで生活していた。三つの明知が体得された。ブッダの教え〔の実行〕がなしとげられた。
九〇四 わたしが、横臥しないですわっている行(常坐不臥)を始めてから五十五年が経過した。無気力なものうさを根だやしにしてから二十五年が経過した。
九〇五 心の安住せるかくのごとき人には、すでに呼吸がなかった。欲を離れた聖者はやすらいに達して亡くなられたのである。
九〇六 ひるまぬ心をもって苦しみを耐え忍ばれた。あたかも燈火の消え失せるように、心が解脱したのである。
九〇七 いまや、接触を第五のものとするこれらの〔認識の対象〕は、聖者にとって址後のものである。プッダは、まどかな安らぎに入られたのであるから、その他の思考の対象は存在しない。
九〇八〔天女に答えていった、〕「ジャーリニー(罠にかける女)よ。もはや神々の群れのうちに再び住むということはない。生まれるのをくり返す迷いの生存はもはや滅ぼしつくされた。いまや再び迷いの生存は存在しない。」
九〇九 かれは一瞬のうちに千回も世界を見通した。かの修行者は、大梵天のごとくであり、神通力という徳に関しても、生死を知ることに関しても自在であり、適当な時に神々を見る。
九一〇「わたくしは以前には「アンナバーラ」(「食物連搬人」の意)という名の者で、貧しく、糧を運ぶ者でした。かつて有名なウパリッタという修行者を供養したことがあります。
九一一 そのゆえに、わたくしはサーキヤ(釈迦)族の家に生まれ、アヌルッダという名で人々に知られていました。舞踏や歌謡に明け暮れし、シンバルの音に目をさましました。
九一二 ところがわたくしは、何ものをも恐れぬ師、完きさとりを開いた人に見えて、かれを信ずる浄らかな心を起して、出家して、家無き状態におもむきました。
九一三 わたくしが以前に暮らしていた前世のありさまを、わたくしは知りました。わたくしはサッカ(帝釈天)として生まれて、三十三天のうちにいたのです。
九一四 わたくしは人間の王として七たび国を統治しました。四辺にいたる全世界を征服し、ジヤンブ洲(全インド)の主として、刑罰によることなく武器を用いずに、理法によって人々を統治しました。
九一五 ここから七たび、またそこから七たびと、十四回の輪廻にわたる生存を、わたくしは知りました。そのときに、わたくしは神々の天界にいました。
九一六 五つの支分をそなえた瞑想において心が静まり精神統一がなされたときに、わたくしは心の落ちつきを得ました。わたくしの天眼(透視力)は浄められました。
九一七 五つの支分をそなえた瞑想に住して、生きとし生ける者どもの生と死、往き来たること、このような状態、あのような状態で生存していることを、わたくしは知りました。
九一八 わたくしは、師(ブッダ)に仕え、ブッダの教え〔の実行〕をなしとげました。重い荷をおろし、迷いの生存にみちびくものを、根こそぎにしました。
九一九 ヴァッジ族のヴェールヴァ村において、竹の叢林のうちで〔一つの竹の〕下で、生命が尽きたならば、汚れなく、安らぎに入るでしょう。」




レーヴァタ尊者
 父ヴァンガンタ、母サーリー、長男ウパティッサ、二男ウパセナ・ヴァンガンタ・プッタ、三男マハーチュンダ、四男レーヴァタ・キャディラ・ヴァニヤで、カーラ、ウパカーラ、シスパカーラという3人の甥がいた。彼は母親に結婚を勧められたが、兄のウパティッサが既に出家していたので、我も出家し3人の甥を伴って家出した。
 みずから「万人の友である」として人々に対する親和感を特に顕著に表明したのは、修行者レーヅァタであった。かれはいう。「テーラガーダー」
 六四五 わたしが出家して、家に住む状態から家のない状態に入ったときに、わたしは、憎悪ともなった卑しい意向をもつことはなかった。
六四六 わたしはこの長い時期のあいだ、「これらの生きものは殺されよ。殺戮されよ。苦しみに遭うように」という意向をもつことはなかった。
六四七 しかしわたしは、ブッダのとかれたように、無量の慈しみをよく修め、順次に実践して積み重ねたのを知っている。
六四八 われは万人の友である。万人のなかまである。一切の生きとし生けるものの同情者である。慈しみの心を修めて、つねに無傷害を楽しむ。
六四九 わたしは、心が動揺せず、不動であるのを喜ぶ。わたしは、悪人が実践することのない〈清らかな安住の境地〉を修める。
六五〇 まったき、さとりをひらいた人(ブッダ)の弟子は、思慮のない境地に到達した。か、尊い沈黙をつねに身に具現している。
六五一 岩山がよく安定していて不動であるように、修行僧は、迷妄を滅ぼしつくしているから、おののかない。― 山岳のように。
六五二 汚点がなく、つねに清きをもとめている人には、毛の尖ほどの悪でも、まるで雲のように見える。
六五三 辺境にある、城壁に囲まれた都市が内も外も守られているように、そのように自己を守れ。瞬時も空しく過ごすな。
六五四 われは死を喜ばず。われは生を喜ばず。雇われた人が賃金をもらうのを待つように、わたしは死の時が来るのを待つ。
六五五 われは死を喜ばず。われは生を喜ばず。よく気をつけて、心がけながら、死の時が来るのを待つ。
六五六 わたしは師(ブッダ)に仕えて。ブッダの教えをなしとげた。重い荷はおろされた。迷いの生存にみちびくものは、根こそぎにされた。
六五七 わたしが出家して家なき状態に入ったその目的を、わたしは達成した。それは、すべての束縛を滅ぼしつくすことであった。
六五八 怠ることなく、つとめ励めよ。これがわたしの教えいましめである。さあ、わたしはまどかな安らぎに入るであろう。わたしはあらゆることがらにいて解脱している。




ナンダ尊者 (ウダーナ3-1にも登場)
 スッドーダナ(浄飯)王とマハーパジャーパティー妃との間の子。お釈迦様の異母弟に当たる。お釈迦様が故郷のカピラヴァツトウに帰国した際、その第三日目のナンダの結婚式の直前に、お釈迦様は強いて出家させた。のちナンダがしばしば追憶して愛欲に苦しむのを見て、お釈迦様は種々の方便でナンダを教化する。またナンダは容姿が美しく、お釈迦様と見まちがえられた。よく諸欲を自制し、さとりを得る。諸欲をよく押えて調伏諸根最第一とされる。
「テーラガーター」一五七・一五八を説く。なお別説では、かれはすでにスンダリー
と結婚してスマンダラナンダと呼ばれており、ブッダによって出家させられたのは立太子式の日ともいう。
「スッタニパータ」の第五章のうち、その一〇七七~一〇八三偏はかれの問いとお釈迦様の答え。 
一五七 わたしは、正しく思惟しなかったので、装飾にふけり、うわついていて、ふらふらして、愛欲に悩まされていた。
一五八 〈太陽の裔であり、みちびく手だてに巧みなブッダ(の助け)によって、わたしは正しく実践して、迷いの生存に向う(わが)心を引き抜いた。
   ナンダ長老



カ-リコーダー女の子・バッディヤ
 詩句が次のように伝えられている。この人が、ヴァナーラシイ郊外の〈鹿の閥〉カーリゴーダー女の子・バッディヤはサーキャ族の王族の子であったと伝えられている。
テーラガーターに伝えられているカ-リコーダー女の子・バッディヤのエピソードは、初期の仏弟子の思想を伝えていると考えられています。
八四二 わたしが乗るためには、柔らかい布が象の頂に敷かれていたし、またわたしは、サーリ米のご飯に浄肉のスープをふりかけて食べてきたが、〔幸福ではなかった。〕
八四三 しかるに、今日、幸運にも、忍耐強い者となり、残飯が鉢に盛られたのを楽しみなから、ゴーダーの子・バッディヤは、執著することなく、瞑想にふける。
 次に頭陀行に言及している。
八四四 ボロ布でつづった衣を着て、忍耐強い者となり、残飯が鉢に盛られたのを楽しみなから、ゴーダーの子・バッディヤは、執著することなく、瞑想にふける。
八四五 托鉢によって得た食物だけを食べて、忍耐強い者となり、残飯が鉢に盛られたのを楽しみながら、ゴーダーの子・バッディヤは、執著することなく、瞑想にふける。
八四六 三種の衣だけを着て、忍耐強い者となり、残飯が鉢に盛られたのを楽しみながら、コーダーの子・バッディヤは、執著することなく、瞑恕にふける。
八四七 家の貧富をえらばずに托鉢して、忍耐強い者となり、残飯が鉢に盛られたのを楽しみながら、ゴーダーの子・バッディヤは、執着することなく、瞑想にふける。
八四八 一人で坐して、忍耐強い者となり、残飯が鉢に盛られたのを楽しみだから、ゴー
ダーの子・バッディヤは、執著することなく、瞑想にふける。
八四九 一つの鉢に盛られる食物だけを食べて、忍耐強い者となり、残飯が鉢に盛られたのを楽しみながら、ゴーダーの子・バッディヤは、取着することなく、瞑想にふける。
八五○ 食事の時を過ぎては食事しないで、忍耐強く、残飯が鉢に盛られたのを楽しみながら、ゴーダーの子・バッディヤは、執著することなく、瞑恕にふける。
八五一 森に住んで、忍耐強く、残飯が鉢に盛られたのを楽しみながら、ゴーダーの子・ハッティヤは、執著することなく、瞑想にふける。
八五二 樹の下に住んで、忍耐強く、残飯が鉢に盛られたのを楽しみながら、ゴーダーの子・バッディヤは、執著することなく、瞑想にふける。
八五三 屋外に住んで、忍耐強く、残飯が鉢に盛られたのを楽しみながら、ゴーダーの子・バッデは、執著することなく、瞑想にふける。
八五四 死骸の捨て場に住んで、忍耐強く、残飯が鉢に盛られたのを楽しみながら、ゴーダーの子・バッディヤは、執著することなく、瞑想にふける。
八五五 指定された場所に住んで、忍耐強く、残飯が鉢に盛られたのを楽しみながら、ゴーグーの子・バッディヤは、執著することなく、瞑想にふける。
八五六 すわったままで横臥しないで、忍耐強く、残飯が鉢に盛られたのを楽しみながら、コーダーの子・バッディヤは、執著することなく、瞑想にふける。
八五七 望むことが少なく、忍耐強く、残飯が鉢に盛られたのを楽しみながら、ゴーダーの子・バッディヤは、執著することなく、瞑恕にふける。
八五八 満足して、忍耐強く、残飯が鉢に盛られたのを楽しみながら、ゴーダーの子・バッディヤは、執著することなく、瞑想にふける。
八五九 人々から遠ざかり離れて、忍耐強く、残飯が鉢に盛られたのを楽しみながら、ゴーダーの子・バッディヤは、執著することなく、瞑想にふける。
八六〇 人々と交際しないで、忍耐強く、残飯が鉢に盛られたのを楽しみながら、ゴーダーの子・バッディヤは、執著することなく、瞑想にふける。
八六一 精励努力して、忍耐強く、残飯が鉢に盛られたのを楽しみながら、ゴーダーの子・バッディヤは、執著することなく、瞑想にふける。
八六二 高価な真鈴製の鉢と百両もする黄全製の鉢とを捨てて、わたしは土製の鉢を執った。これは[わたしの]第二の濯頂である。
八六三 かつて、わたしは、高く円い城壁をめぐらされ、堅護な見張り塔や門のある城のなかで、剣を手にした人々に護られながら、しかもおののいて住んでいた。
八六四 今日、幸運にも、恐れおののくことなく、恐怖・戦慄を断ちきって、ゴーダーの子・バッディヤは、森に潜んで、瞑想にふける。
八六五 幾多の戒めに安住して、心の落ちつきと智慧とを修めて、わたしは、順次に、あらゆる束縛の消滅を体得した。
 上記の第八四四詩から、この第八五六詩が、いわゆる十三頭陀行です。
〔第八五七詩以下はむしろ修行者の精神的態度と思われる。〕しかし十三頭陀行としては言及してはいないから、十三頭陀行という項目は、「テーラガーター」が作られたころにはま
だ成立していなかったのであろう。〔しかしまた成立してはいたが、詩句のうちには明示しなかったのであるとも考えられる。〕

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