ウダーナ ~ ベスト・オブ・仏教

仏教ベスト盤 ~ ウダーナ ~ を翻訳・解説

ウダーナ ~ ベスト・オブ・仏教 第7章と アッタカ・ヴァッカ(スッタニパータ第四章) との関係について(5)

 


             
 7-6渇愛の滅尽 と
 15武器を執ること


物語では
 アンニャーシ・コンダンニャ尊者の物語は転法輪転経との、つながりを象徴しています。そして高度な瞑想をアンニャーシ・コンダンニャ尊者はしています、瞑想実践(修行)が主要テーマだと読み取れます。修行の具体的な方法が三転十二相として転法輪転経に説かれています。


詩では
 一見して解るように、悟りを開いた覚者とは、このような者であるという教えです。そしてお釈迦様ご自身のこと、法輪を輪転させた方の言です。


  ウダーナ7-6
Yassa mūlaṃ chamā natthi,
そのひとには地に張る根もなく、葉もない
paṇṇā natthi kuto latā;
どうしてからみつく蔓があるのか
Taṃ dhīraṃ bandhanā muttaṃ,
束縛から解き放たれた賢者を
ko taṃ ninditumarahati;
誰が非難できるか
 *覚者にとっては世間とは、からみつく蔓のようなものです
 *葉もない、蔓もない、束縛もない、非難もない、と<ない>を四つ重ねて悟りを表現し
  てます
Devāpi naṃ pasaṃsanti,
神々も賞賛し、
brahmunāpi pasaṃsito”ti.
ブラフマー神からも賞賛される
 *どのような神々や人々からも賞賛される存在ということです


  アッタカ・ヴァッカ・15武器を執ること
 覚者はこのような姿と解説されています
940 そこで次に実践のしかたが順次に教えられる。──世間には、もろもろの束縛の絆に熱中してはならない。もろもろの欲望を究めつくして、自己の安らぎを学べ。
941 聖者は誠実であれ。傲慢でなく、詐りなく、悪口を言わず、怒ることなく、邪まな貪りと樫みとを乗り越えよ。
942 安らぎを心がける人は、眠りとものぐさとふさぎこむ心とにうち勝て。怠けと共に暮らしてはならぬ。高慢すぎてはならない。
 *瞑想の大敵は眠りとものぐさとふさぎこむ心
943 嘘をつくように引き込まれるな。美しいすがたに愛著を起すな。また慢心を知りつくしてなくすようにせよ。暴力から離れて、ふるまえ。
 *世間に対する心がけで、慢心については自分の中に取り込んでからなくせという意味
944 古いものを喜んではならない。また新しいものに魅惑されてはならない。滅びゆくものを悲しんではならない。引き寄せられていくもの(妄執)にとらわれてはならない。
945 わたくしは、(引き寄せられるもののことを)貪欲、ものすごい激流と呼び、吸い込む欲求と呼び、はからい、捕捉と呼び、超えがたい欲望の泥であるともいう。
946 バラモンである聖者は、真実から離れることなく、陸地(安らぎ)に立っている。かれは一切を捨て、「安らかになったひと」と呼ばれる。
947 かれは智者であり、ヴェーダの達人である。かれは理法を知りおわって、依りかかることがない。かれは世間で正しくふるまい、世の中で何びとをも羨むことがない。
948 世のなかのもろもろの欲望を超え、また越えがたい執著を超えた人は、流されず、束縛されず、悲しむことなく、思いこがれることもない。
949 過去にあったもの(煩悩)を涸渇せよ。未来にはあなたに何ものもないようにせよ。中間においてあなたに何ものをも執しないならば、あなたは「安らかなひと」としてふるまうことであろう。
950 名称と形態について、わがものという思いのまったく存在しないひと、また(何ものかが)ないからといって悲しむことのないひと、かれは実に世の中にあっても老いることがない。
 *1わがもの<ある>と<ない>の二項対立に拘らないのが悟りということ
 *2名称と形態が、ない、ない、ない、ない、と四つ重ねて、悟りを表現しています。
 *1,2はウダーナ副読本 1―10バーヒヤの教の解説に代えて参照
951「これはわたしのものである」また「これは他人のものである」というような思いが何も存在しないひとは、(このような)〈わたしのものという観念〉がないから、「わたしはない」とにいって悲しむことがない。
 *無我とは、こういうことと、直接述べています
952 嫉妬心なく。貪欲なることなく、動揺して煩悩に悩まされることなく、あらゆるところで平等である。-動じないひとについて問う人があれば、その利点をわたくしは語るであろう。
953 動揺して煩悩に悩まされることなく、叡智あるひとにとっては、いかなる作為も存在しない。かれはあくせくした営みから離れて、あらゆるところに安穏を見る。
954 聖者は自分が等しい者どものうちにいるとも言わないし、劣った者のうちにいるとも、勝れた者のうちにいるとも言わない。かれは安らいに帰し、ものおしみを離れ、取ることもなく、捨てることもない。
 *聖者は、ない、ない、ない、ない、と四つ重ねて、悟ったひととは、と表現しています。
   ―と師は説かれた。


ウダーナ7-6とアッタカ・ヴァッカ・15は、同じ主題の経典と解ると思います。

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