ウダーナ ~ ベスト・オブ・仏教

仏教ベスト盤 ~ ウダーナ ~ を翻訳・解説

ウダーナ ~ ベスト・オブ・仏教 第7章と アッタカ・ヴァッカ(スッタニパータ第四章) との関係について(4)

    


 
     7-5ラクンダカ・バッディヤ と
     15武器を執ること


物語では
 ウダーナ7-1、7-2教と同様にラクンダカ・バッディヤ尊者が、今度はお釈迦様の前に、瞑想の達人として現れます。
 修行者の後からやってくる外見悪いラクンダカ・バッディヤ尊者を、お釈迦様が瞑想の達人だと語っている姿は、アッタカ・ヴァッカ935~939で、覚者であるお釈迦様が、ご自分の世間にいたときの姿と世間の人々を重ね合わせ語っている姿とよく重なります。


詩では
 白い覆いのある車とは、二つの車輪が軸(シャフト)で止められている車輪がついた立派な車の事で、ウダーナ7-1、7-2教のサーリプッタ尊者とラクンダカ・バッディヤ尊者を象徴し、輪廻を繰り返す人々や、悟りを開き輪廻の流れを断ち切った人の象徴でもあります。


 ラクンダカ・バッディヤ尊者は修行者の代表として戒をサンガより授けられ、智慧をサーリプッタ尊者から授かり、定(瞑想修行)により、修行者の理想である悟りに達します。
ウダーナ7-3と7-4は修行者に限らず、世間一般の人々へのお教えであり、お釈迦様の教えの鍵です


  ウダーナ7-5 1.2行目
Nelaṅgo setapacchādo,
どこも不完全な部分なく、白い覆の
 *最上の瞑想の境地を獲得したひと
ekāro vattatī ratho;
一本輻の車が、転ずる
 *車輪の輪木は、輪廻を繰り返す人々、
 *車輪の輻は、きずき(sati)という瞑想(車)の、ささえのこと
  アッタカ・ヴァッカ・15武器を執ること
 輪廻を繰り返す人々とは、悟りを得るまえの若き日のお釈迦様です。アッタカ・ヴァッカではお釈迦様が苦(dukkha)を見つめる、ブッダの源と言える体験と、矢(煩悩)き抜いたなら、それが悟りと言明されています。
 ウダーナの車輪の輪木は、アッタカ・ヴァッカで具体的に語られる、輪廻を繰り返し、死を苦しみ争う人々の姿。
 一部の学者からはアッタカ・ヴァッカ935~939が最古の経典ではないかという説があります、内容的にお釈迦様が悟る前のことがらと言うのも根拠の一つになっています。



935 Attadaṇḍā bhayaṃ jātaṃ,
殺そうと争闘する人々を見よ
janaṃ passatha medhagaṃ;
武器を執って打とうとしたことから恐怖が生じたのである
Saṃvegaṃ kittayissāmi,
その衝撃を語ろう
yathā saṃvijitaṃ mayā.
わたくしが驚き恐れたとおりに
936 Phandamānaṃ pajaṃ disvā,
人々がおびえているのを見て
macche appodake yathā;
水の少ないところにいる魚のように
Aññamaññehi byāruddhe,
また人々が相互に抗争しているのを見て
disvā maṃ bhayamāvisi.
わたくしに恐怖が起った。
937 Samantamasāro loko,
世界はどこでも堅実ではない
disā sabbā sameritā;
どの方角でもすべて動揺している
Icchaṃ bhavanamattano,
わたくしは自分のよるべき住所を求めたが
nāddasāsiṃ anositaṃ.
(死や苦しみなどに)とりつかれていないところを見つけなかった
938 Osāne tveva byāruddhe,
(生きとし生けるものは)終りにおいては逆転しているのを
*終りにおいては逆転しているのを見て
*アッタカ・ヴァッカ774教で、欲望を貪り、熱中していた人々が死の迫るころに、嘆き悲
 しむ姿をさしている
Disvā me aratī ahu;
見て、わたくしは不快になった
Athettha sallamaddakkhiṃ,
また、わたくしはその(生けるものどもの)心の中にのを見た
Duddasaṃ hadayanissitaṃ.
見がたき煩悩の矢(salla)が潜んでいるを
939 Yena sallena otiṇṇo,
この矢に貫かれた者は
disā sabbā vidhāvati;
あらゆる方角をかけめぐる
Tameva sallamabbuyha,
その矢を抜いたならば
na dhāvati na sīdati.
(あちこちを)駆けめぐることもなく、沈むこともない。
 *こころの中にある見えない煩悩を矢(salla)と喩える。
 *矢(salla)はウダーナ6-6の詩にもあります。


  ウダーナ7-5 3.4行目
Anīghaṃ passa āyantaṃ, 
動転なき、目的に入ったひとを見よ
chinnasotaṃ abandhanan
流れを断ち切った 縛りないひとを
アッタカ・ヴァッカ・15武器を執ること
948 Yodha kāme accatari,
もろもろの欲望を超え
Saṅgaṃ loke duraccayaṃ
世のなかの越えがたい執著を超えた
Na so socati nājjheti,  
そのひとは、悲しまず、悩みなく
chinnasoto abandhano.
縛りなく、流れを断ち切りる
 *煩悩の流れを断ち切った、悟りを開いた(縛りない)ひとです



 アッタカ・ヴァッカ15武器を執ることの、941教から954教は聖者(悟りを開いたひと)とはどのようなひとかという教えです、


 アッタカ・ヴァッカ・1欲 望 とも呼応する経典で、実践を大事にするようにということで、このような配列に編集してあるように思います。

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