ウダーナ ~ ベスト・オブ・仏教

仏教ベスト盤 ~ ウダーナ ~ を翻訳・解説

ウダーナ ~ ベスト・オブ・仏教 第7章9井戸の経(現代訳・解説)


7.9 井戸の経(69)
 このように、わたしは聞きました。
 あるとき、お釈迦様は、マッラ国で、大いなる修行者の僧団と共に、遊行の旅を歩みながら、トゥーナという名のマッラ国のバラモン村のあるところに着きました。
トゥーナ村のバラモンたちと家長たちは、
 「サキャの家から出家したサキャ族であるサマナ・ゴータマが、マッラ国で大いなる修行
  者の僧団と共に遊行の旅をし、トゥーナに到着した」と耳にしました。
彼らは井戸を草やら、もみがらで満たし
 「奴ら、坊主頭のサマナどもに水を飲ませることはない」
と井戸を使えないようにした。
 お釈迦様は、道から外れて木の根元のところに行き。坐されて、尊者アーナンダに語りかけました。
 「アーナンダよ、この井戸から水を持ってきておくれ」
このように言われたとき尊者アーナンダはお釈迦様に、こう申し上げた。
 「尊き方よ、その井戸はトゥーナ村のバラモンたちと家長たちによって、草やら、もみが
  らで、満たされました。『奴ら、坊主頭のサマナどもに水を飲ませることはない』」
再度また、「アーナンダよ、この井戸から水を持ってきておくれ」
 このように言われたとき尊者アーナンダはお釈迦様に、こう申し上げた。
 「尊き方よ、その井戸はトゥーナ村のバラモンたちと家長たちによって、草やら、もみが
  らで、満たされました。『奴ら、坊主頭のサマナどもに水を飲ませることはない』」
三度また、お釈迦様は尊者アーナンダに語りかけました。
「アーナンダよこの井戸から、水を持ってきておくれ」
「尊き方よ、わかりました」と、
尊者アーナンダはお釈迦様に答えて、鉢を抱えてその井戸のあるところに行きました。その井戸は尊者アーナンダが近づくと、草やら、もみがらを、吐き出して清らかで濁りのない澄んだ水で満たされ、水が流れ出たのです。
 尊者アーナンダは、こう思いました。
 「ああ、めったにないことだ。ああ、はじめてのことだ。如来の偉大なる神通だ、偉大な
  る力だ。その井戸はわたしが近づくと草やら、もみがらを、吐き出して、清らかで濁り
  のない澄んだ水で縁まで満たされたからだ。水が流れ出たのだ」
尊者アーナンダは鉢で水を汲んで、お釈迦様のおられるところに行き、お釈迦様にこう申し上げた。
 「尊き方よ、めったにないことです。尊き方よ、はじめてのことです。如来の偉大なる神
  通です、偉大なる威力です。その井戸は、わたしが近づくと草やらもみがらを、吐き出
  して、清らかで濁りのない澄んだ水で満たされたからです。世尊よ、水をお飲みくださ
  い。善逝よ、水をお飲みください」
 お釈迦様は、このことを知って、ウダーナを唱えました


どこにでも水があるのなら

井戸はなにに使うのか
渇欲を根元から断ち切ったなら
何を探して歩むのか
(82)




以上が第九の経となる。



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なにが書いてあるか
(直訳詩)
Kiṃ kayirā udapānena,
井戸でなにをするのか
Āpā ce sabbadā siyuṃ;
水が常に存在しているなら
Taṇhāya mūlato chetvā,
渇愛の根本を断ち切り
Kissa pariyesanaṃ care”ti.
なにを求めて、歩くのか



解 説


Kiṃ kayirā udapānena,
どこにでも水があるのなら
Āpā ce sabbadā siyuṃ;
井戸はなにに使うのか
 *もし、澄んだ水が溢れ出るならば、井戸を掘る必要はありません。
 *生きることが苦そのものなので、生命は幸福・安穏を探し求めているのです。
Taṇhāya mūlato chetvā,
渇欲を根元から断ち切ったなら
 *Taṇhāは、喉が渇くということ、仏教でこころの状況を示すために使う、仏教・哲学用
  語になっているが、ここでは、文字通り、喉の渇きの意味です。
Kissa pariyesanaṃ care”ti.
何を探して歩むのか
 *苦の原因は渇愛です。渇愛を根絶する人は安穏・幸福を探し求める必要はありません。
 *pariyesanaṃ(遍求)、求めること


 人は、何かどこかで探すことが終わらないのですね。それでも探す。そこで人は何か求めている。これは何ですかと、人は知らない。私は何かを探している。その何かと分からない。そこでお釈迦さまが答え出したのだけど、却下されたのです。人はA探せ、B探せ、C探せ、D探せばいいと、言います。お釈迦さまは違う答えをだすのです。あなたは、病気と、生命は渇愛という病気があるのだと。探す必要はないのだと。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


伝 記


アーナンダ尊者


 釈迦族アミトーダナ王の子、ブッダのいとこに当たるが、年齢はかなり若い。ブッダが帰郷したとき出家し、のちにブッダの侍者となって晩年の二十五年間ひたすら奉仕した。
 お釈迦様の教えは、文字にして書きとめられ文書の形で残っていたわけではない。お釈迦様の説法を聞いた弟子たちが、それぞれの記憶に留めていたのである。だから、仏教経典の書き出しは、「私はこのように聞いた」で始まっている。
 お釈迦様が入滅すると、その教えがバラバラになってしまい、勝手に解釈されることを恐れたマハーカーシャパは、すぐにお釈迦様の教えをまとめる会議(第一結集)を開くことを決意した。会議には、悟りを開いた弟子を参加させねばならない。だが、弟子たちのなかから、アーナンダの出席を望む声が上がった。アーナンダは、まだ悟りを開いてはいないが、侍者として常にお釈迦様のそばに仕え、行動をともにしていた。お釈迦様の教えをまとめるに当たって、最も教えを聞いた者、多聞第一。といわれるアーナンダを欠かすことができなかったのからです。
 しかし、アーナンダ自身は、まだ悟りを開いていない。会議に出席することがためらわれた。自分のように悟りを開いていない弟子には、参加資格がない、出席は遠慮しよう。会議の前夜、アーナンダは夜遅くまで思い悩んだ。はじめて侍者となってからお釈迦様が涅槃に入るまでの25年間、常にそばに仕えてきた。その間、じかに教えを聴いていたにもかかわらず、悟ることができなかったのであった。いや、だから悟ることができなかったのかもしれない。苦しみ悩んだ夜も明け、いよいよ会議の開かれるという日の朝、ついに悟りを開くことができた。ここに、アーナンダを含めて500人の弟子が集って、ラージヤグリハの郊外、七粟窟において経典をまとめる会議が始まった。
 マハーカーシャパが議長を務め、戒律についてはウパーリが中心になってまとめ、教えはアーナンダが中心となってまとめたのであった。
アーナンダについてはもう一つ記しておかなければならないことがある。それは、女性の弟子入りつまり尼僧教団をお釈迦様に認めさせたのは彼の功績だったということである。
 お釈迦様は、女性が出家することを許していなかった。お釈迦様の育ての親マハーパジャパテイは、人であるシュッドーダナ王の死後、自分も出家したいとお釈迦様に申し出た。だが、お釈迦様はそれを許さなかった。どうしても出家したいという願いを捨てきれないマハーパジャパテイは、同じ思いを抱く釈迦族の女たちと、黒髪を切り、手に鉢をもって裸足でお釈迦様の跡を追った。それを知ったアーナンダは、女性の出家をお釈迦様に願い出た。お釈迦様はそれを認めなかった。だが、これまでお釈迦様に背いたことのないアーナンダは、何回も願い出て、女性の出家の正当性を主張したのであった。お釈迦様も、それを良しとして女性の出家を認めたのであった。
経蔵や律蔵など、初期仏教の資料のいたるところに、その名が見られる。
「テーラガーター」一〇一八~一〇五〇はとくにその説を集める。


一〇一八 聡明な人は、- 二枚舌を使う人、怒り易い人、けちな人、そして(他人の)破滅を喜ぶ 人と、つき合ってはならない。悪人と交わるのは、わざわいである。
一〇一九 聡明な人は、- 信頼があり、気持のよい、明らかな智慧をそなえ、学識ある人と、つき合うべきである。立派な人と交わるのは、しあわせである。
一〇二〇 見よ、粉飾された形体を(それは)傷だらけの身体であって、いろいろのものが集まっただけである。病いに悩み、意欲ばかり多くて、堅固でなく、安定していない。
一〇二一 学識あり、みごとに談諭し、ブッダの侍者であるゴータマ(アーナンダ)は、〔重き〕荷をおろし、束縛を離れ、臥床についている。
一〇二二 かれは、煩悩のけがれを滅ぼし、東縛を離れ、執著を超え、よく心の安らぎをえ、生死の彼岸に達し、最後の身体をたもっている。
一〇二三 太陽の裔であるブッダの〔説いた〕もろもろの教えの基礎となっている、かの安らぎに至る道の上に、このゴータマ(アーナンダ)はなっている。
一〇二四 わたしは、ブッダから八万二千〔の教え〕を受けました。また修行者たちから二千の教えを受けました。- こういうわけで八万四千の教えが行なわれているのです。
一〇二五 学ぶことの少ないこの人は、牛のように老いる。かれの肉は増えるが、かれの智慧は増えない。
一〇二六 学識ある者が、その学識を誇ることによって、学識の劣った者を軽んずるのは、燈火をもっている盲人のようなものだと、わたしには思われる。
一〇二七 学識ある者に親しみ仕えよ。そして、学んだことを失しなってはならない。それが、清らかな行ないの根本である。それ故に、真理の教えをたもっておれ。
一〇二八 一を聞いて百を知り、意義を知り、ことばや語句に精通する人は、よく会得し、そして意義を探求する。
一〇二九 忍受することによって〔なそうという〕欲求が生じる。努力してこれを測定する。内によく心の安定した人は、時に応じて、奮励する。
一〇三〇 学識あり、真理の教えをたもち、智慧あり、真理を理解しようと願うブッダの
弟子 - このような人に親しみ仕えよ。
一〇三一 学識あり、真理の教えをたもつ人は、大いなる仙人の〔宝の〕蔵を守護する人、全世界の人々の眼である、-〔この〕学識ある者は、尊敬されるべきである。
一〇三二 真理を喜び、真理を楽しみ、真理をよく知り分けて、真理にしたがっている修行者は、正しいことわりから随落することがない。
一〇三三 身体を〔勤かすのを〕惜しんで、もの倦く思い、ただ肉体の快楽を貪るものには、どこから〈道の人の〉快さが起るであろうか?-〔身体が刻々に〕衰えて行くのに奮起もしないで。
一〇三四 四方、さだかに見えず、教えもまた、わたしにとって明らかでない。善き友がこの世を去って、暗黒〔に覆われたよう〕に思われる。
一〇三五 友が世を去り、師も逝去されてしまった者にとっては、〔もはや〕〈身体に関して心がけること〉ほどの〔良き〕友は存在しない。
一〇三六 むかしの人々は、すでに去り、新しい人々は、わたしとなじまない。今日、わたしは、ただ独り思いに耽る。- 雨のために巣ごもりする鳥のように。
一〇三七 〔わたしに〕会おうと、諸国から来た多くの人々、教えを聞こうとする〔それらの〕人々をさえぎってはならない。かれらを、わたしに会わせるがよい。まさに、その時である。
一〇三八 〔師ブッダを〕見ようと、ひろく諸国から来た人々に、師はそれ(謁見)を許し、眼あるかた(ブッダ)はそれをさえぎらなかった。
一〇三九 二十五年の間、わたしは、学ぶ者であったが、官能的欲望の想いは起らなかった。見よ、― 教えが真理にみごとに即応していることを!
一〇四〇 二十五年の間、わたしは、学ぶ者であったが、いかりの想いは起らなかった。見よ、―  教えが真理にみごとに即応していることを!
一〇四一 二十五年のあいだ、わたしは慈愛にあふれた身体の行ないによって尊き師のおそばに仕えた。― 影が身体から離れないように。
一〇四二 二十五年のあいだ、わたしは慈愛にあふれたことばの行ないによって尊き師のおそばに仕えた。― 影が身休から離れないように。
一〇四三 二十五年のあいだ、わたしは慈愛にあふれたこころの行ないによって尊き師のおそばに仕えた。- 影が身体から離れないように。
一〇四四 ブッダが経行(きんひん)されているとき、わたしは、その後からつき従って経行した。また、ブッダが教えを説かれているとき、わたしに智慧が生じた。
一〇四五 わたしは、まだなすべきことのある身であり、学習する者であり、まだ心の完成に達しない者であった。それなのに、わたくしを慈しみたもうた師は、円かな安らぎに入られた〔亡くなられた〕。
一〇四六 あらゆるすぐれた徳性を共えた覚者が、円かな安らぎに入られたとき、〔世の人々に、〕そのとき、恐怖があった。そのとき、身の毛のよだつことがあった。
一〇四七 「学識あり、真理の教えをたもち、大いなる仙人の〔宝の〕蔵を守護し、あらゆる世の人々の眼であるアーナンダは、円かな安らぎに入った。
一〇四八 学識あり、真理の教えをたもち、大いなる仙人の〔宝の〕蔵を守護し、あらゆる世の人々の眼、闇の中で暗黒をのぞく者、
一〇四九 機敏な才智あり、つねに気をつけていて、しっかりとしている仙人であって、正しい真理の教えをたもち、宝石の鉱脈である長老アーナンダは、・……。」
一〇五〇 わたしは、師〔ブッダ〕に仕えました。ブッダの教えを実行しました。重い荷をおろしました。迷いの生存にみちびくものを根だやしにしました。
   アーナンダ長老

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