ウダーナ ~ ベスト・オブ・仏教

仏教ベスト盤 ~ ウダーナ ~ を翻訳・解説

ウダーナ ~ ベスト・オブ・仏教 第1章5 バラモンたちの経(現代訳・解説)

 


 1.5 バラモンたちの経 
 このように、わたしは聞きました。
あるとき、お釈迦様はサーヴァッティー(舎衛城)に住んでおられた。
ジェータ林のアナータピンディカ長者の聖園(祇園精舎)で、尊者サーリプッタと、尊者マハーモッガッラーナと、尊者マハーカッサパと、尊者マハーカッチャーナと、尊者マハーコッティカと、尊者マハーカッピナと、尊者マハーチュンダと、尊者アヌルッダと、尊者レーヴァタと、尊者ナンダとが、お釈迦様のもとに向かっていた。
 お釈迦様は、尊者たちがはるか遠くからやってくるのを見て、修行者たちに語りかけた。
 「ビクたちよ、バラモンたちがやってきます、ビクたちよ、バラモンたちがやってきます」
このように言われたときバラモン生まれの修行者は、お釈迦様にお聞きした。
 「尊き方よ、どのような人をバラモンというのですか、どのようなものが人をバラモンとする法(性質)なのですか」
  お釈迦様は、このことを知って、ウダーナを唱えました


悪しきことを拒み
常にきづきあり歩むなら
束縛するものが滅した覚者であり
世間にいるバラモンたちである

  以上が第五の経となる


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お釈迦様と有名なお弟子さんとの出会いが語られている


 常にきづきある者は、真のバラモンであると詩う


 この時代は生まれた家柄がバラモン階級ならバラモンと言われていた時代です、十人のお弟子さんの中にはバラモン階級の生まれでない方もいました、その方々を見てお釈迦様が
「ビクたちよ、バラモンたちがやってきます、ビクたちよバラモンたちがやってきます」
という言葉を口にしたので、このような問いかけがバラモン生まれの修行者から発せられた


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なにが書いてあるか


(直訳詩)
Bāhitvā pāpake dhamme,
悪しきことを拒み、
ye caranti sadā satā;
常に、きづき、歩むなら、
Khīṇasaṃyojanā buddhā,
繋りを滅して、目覚めた彼らこそ、
te ve lokasmi brāhmaṇā’’
世間におけるバラモンである。



解 説


Bāhitvā pāpake dhamme,
悪しきことを拒み
ye caranti sadā satā;
常にきづきあり歩むなら
 *sadā satā 常にきづきがあること
 *過去と未来に引っかかることなく、今の瞬間をよく知って生活することです。(正しい
  バラモンのこころ)
 *縛り・何かへの依存がなければ生きられない
Khīṇasaṃyojanā buddhā,
束縛するものが滅した覚者であり
te ve lokasmi brāhmaṇā’’
世間にいるバラモンたちである


 Satiというのが、Mindfulness(マインドフルネス)という英語の元になった、パーリ語です、日本語では「きづき」と翻訳されています、八正道の一つ正念sammā-satiというように使う言葉で、対象に執着などの価値判断を加えることなく、中立的な立場で注意を払うことを意味し、瞑想に関する重要な事柄です



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尊者方について簡単に記載します。


尊者サーリプッタ
 ブッダの十大弟子の第一とされ、智慧第一と称される。マガダ国のナーフカ村のバラモンの家に生まれる。父はヴァンガンタ、母はルーパサーリーないしサーリーといい、かれはウパティッサと呼ばれて、三人の弟と三人の妹がいた。
経典に、最もよく登場して、ときにはブッダに代わって説法し、サーリプッタはきわめて頻繁にお釈迦様に道を問い、問答を重ね、そのすぐれた素質によりよくこれを理解し、仏弟子中第一人者となる。お釈迦様の時代から今に続く宗教ジャイナ教の文献では、教団の代表者としてサーリプッタの名前が記載され、当時圧倒的な存在感があったのを伺わせる。最近の研究では、お釈迦様が大まかに説いた話を、詳しく、解りやすく説いたのは、サーリプッタであると言われています。


尊者マハーモッガッラーナ
 山王舎城の近くにあるコーリタ村のモッガリヤーというバラモン女の子で、コーリタと呼ばれる。ウパティッサ、サーリプッタと親しみ、ともに山頂祭に多くの人々が集まるのを見て、却って無常を感じ、六師外道の一人サンジャヤの弟子となる。サーリプッタとともに王舎城に住み、道をさとったならば互いに語り合おうと約束していた。サーリブッタはプッダの最初の五人の弟子(五比丘)のひとりのアッサジから「因縁法頌」を聞いて大いに感動し、それをマハーモッガラーナに伝えると、同じく非常に感激する。二人はサンジャヤの弟子二百五十人をひきいて、ブッダのところに行く。ブッダは二人の来るのを見て、この二人は自分のすぐれた弟子となるであろうという。サーリプッタやマハーカッサパなどの大比丘とともに、祇園の講堂にブッダに侍し、夜を明かす。かれはサーリプッタとともに、ブッダの二大弟子中でもとくに重要な弟子として、きわめて頻繁に初期仏教経典に登場し説法もおこなう。とくに神通に関する記事が多い。サーリプッタとともに、ブッダに先立って死ぬ。ブッダは二人の死を悼む。


尊者マハーカッサパ
 マガダ国のマハーティッタというバラモン村に生まれ、ピッパリ童子と呼ばれる。マハーカッサパは汚衣を着ていたため、比丘たちはかれを軽蔑する。そこでブッダはかれに自分の坐の半分を分かちあたえ賞賛する。ブッダの着衣を受けたとの説もある。かれはつねに粗衣・粗食に満足し、ひたすら仏道修行につとめた。ブッダ入滅後、仏弟子のなかでも、マハーカッサパはとくに尊敬された第一人者であり、多くの種々の教えを説いたことが多数の経典に見える。教団の大長老として修行の完成者五百人を集め、聖典すなわち経と律と論の三蔵をはじめて結集した。サーリプッタ、マハーモッガッラーナ亡き後教団をまとめ、教えを残したマハーカッサパの活躍が有ればこそ、二千五百年後の日本でも、お釈迦様の教えに触れられます。


尊者マハーカッチャーナ
苦労しながらも異国の地での布教に励み、わかりやすく説くことに長けていた。ウッジャイン国のクシャトリヤ出身。チャンダ王の輔佐役の子で、王の命令を受け、ブッダをその国に迎えるために、七人の王臣とともにブッダを訪ねて、帰依し出家した。さとりを得てからのち帰国し、王を帰仏させた。アヴァンティ国に小屋をつくって住み、諸バラモンを教化した。


尊者マハーコッティカ
 田舎衛城の金持のバラモンの家に生まれ、三ヴェーダに通暁する教養あるバラモンであった。仏教に帰依して、さとりを得る。


尊者マハーカッピナ
 王族に生まれ、師を求めて四方に人を派遣したところ、商人からブッダが祇園精舎にいるのを聞いて大いに喜び、ブッダを求めて東方に行く。その途中ブッダに出あい、仏教に帰依して、さとりを得る。


尊者マハーチュンダ
 マガダ国のナーフカ村のバラモン出身。サーリブックの弟に当たる・出家して熱心に努め、さとりを得た


尊者アヌルッダ
 ブッダのいとこに当たる。いわゆる十大弟子のひとりで天眼第一と称される。お釈迦様の説法の座にあって、いねむりをして叱られ、それ以後お釈迦様の前においては眠らないことを誓い、長時間眠りを取らなかったために失明したが、却って天眼(智慧の眼)を得たともいわれる。なお、かれは仏弟子として活躍し、ブッダ入滅に馳せ参じてアーナンダを慰め、その直後の処置に当たったが、その後の教団の動き、たとえば第一結集には加わらなかったらしい。かれの兄のマハーナーマは熱心な仏教信者として知られる。


尊者レーヴァタ
 サーリプッタ尊者の弟で、本名はレーヴァタ・キャディラ・ヴァニヤ、「キャディラ林に住するレーヴァタ」という意味。カディラの林に住し、出家して熱心に努め、さとりを得た


尊者ナンダ 
 スッドーダナ(浄飯)王とマハーパジャーパティー妃との間の子。したがってゴータマーブッダの異母弟に当たる。またナンダは容姿が美しく、ブッダと見まちがえられた。よく諸欲を自制し、さとりを得る。諸欲をよく押えて調伏諸根最第一とされる

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