ウダーナ ~ ベスト・オブ・仏教 第7章5ラクンダカ・バッディヤの経 (現代訳・解説)
7.5 ラクンダカ・バッディヤの経(65)
このように、わたしは聞きました。
あるとき、お釈迦様は、サーヴァッティーに住んでおられた。
ジェータ林のアナータピンディカ長者の聖園で、尊者ラクンタカ・バッディヤは、大勢の背後から背後へと、お釈迦様のおられるところに近づいてきた。
お釈迦様は、尊者ラクンタカ・バッディヤがはるか遠くから、大勢の修行者のあとから、こちらにやってくるのを見ていました。色艶悪く、外見悪く、猫背で、修行者たちに貶められている様子の尊者ラクンタカ・バッディヤを見て修行者たちに呼びかけました。
「ビクたちよ、あなたたちはこのビクが、はるか遠くから大勢のビクのあとから、こちら
にやってくるのが見えますか。色艶悪く、外見悪く、猫背で、ビクたちに貶められてい
る姿のこのビクが見えます」
「尊き方よ、見えます」
「ビクたちよ、このビクは大いなる神通があり、強い力があり。そのビクが一度も体得し
たことのない瞑想の境地は稀なものです。正しく出家し、最上の清らかな修行の境地
を、法を自ら知り、悟り、獲得して、その境地を体得した」
お釈迦様は、このことを知って、ウダーナを唱えました
どの部分も不完全なところなく白い覆いで覆われた
ただ一本の輻の車が動く
流れを断切り束縛するもののない人が
安らかに歩み寄るのを見よ(78)
以上が第五の経となる。
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なにが書いてあるか
(直訳詩)
Nelaṅgo setapacchādo,
どこも不完全な部分なく、白い覆の
ekāro vattatī ratho;
一本輻の車が、転ずる
Anīghaṃ passa āyantaṃ,
動転なき、目的に入った人を見よ
chinnasotaṃ abandhanan”ti.
縛りなく、流れを断ち切った人を
解 説
Nelaṅgo setapacchādo,
どの部分も不完全なところなく白い覆いで覆われた
ekāro vattatī ratho;
ただ一本の輻(や・スポーク)の車が動く
Anīghaṃ passa āyantaṃ,
流れを断切り束縛するもののない人が
chinnasotaṃ abandhanan”ti.
安らかに歩み寄るのを見よ
車輪とは人体の喩えでもあります
車輪の輪木は、肉体の喩え、輪廻を繰り返す人々、凡夫(一般の人)のたとえ
車輪の輻は、背骨と心の喩え、きずき(sati)という瞑想(車)の、ささえのこと
白い覆いで覆われた車とは、二つの車輪をつなげて走る、馬車のような立派な乗り物で、最上の瞑想の境地を獲得した、ラクンタカ・バッディヤ尊者のたとえでもあり。つなげた二本の車輪は、サーリプッタ尊者とラクンタカ・バッディヤ尊者も象徴しています。
