ウダーナ ~ ベスト・オブ・仏教 第7章4第二の執着する人々の経 (現代訳・解説)
7.4 第二の執着する人々の経(64)
このように、わたしは聞きました。
あるとき、お釈迦様は、サーヴァッティーに住んでおられた。
ジェータ林のアナータピンディカ長者の聖園で、サーヴァッティーで、人間たちは、欲望の対象に限度を超えて執着し、楽しみ、むさぼり、縛られ、夢中になり、固執し、愛欲に溺れた者たちがいた。
お釈迦様は、午前中に、衣を着て鉢と衣料をもって、サーヴァッティーに托鉢のために入りました。お釈迦様は、サーヴァッティーで多くの人々が欲望の対象に執着し、楽しみ、むさぼり、縛られ、夢中になり、固執し、盲者になり、愛欲に溺れた者たちを見ました。
お釈迦様は、このことを知って、ウダーナを唱えました
欲の盲者達は網に覆われ
渇愛という覆いに閉じ込められている
なまけやなおざりに縛られた者らは
網に向かう魚のように
人は老死に向かう
乳を飲もうとする子牛が母牛を求めるように(77)
以上が第四の経となる。
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なにが書いてあるか
(直訳詩)
Kāmandhā jālasañchannā,
欲望の盲者、網に覆われた者
Taṇhāchadanachāditā;
渇愛の覆いに覆われた者
Pamattabandhunā baddhā,
怠りの眷属によって縛られた者は
Macchāva kuminām ukhe;
網の入り口にいる魚たちのように
Jarāmaraṇamanventi,
老と死は逃れがたく
Vaccho khīrapakova mātaran”ti.
子牛が母の乳を飲むように
解 説
欲の仕組みについて
普通、五欲と言います。眼・耳・鼻・舌・身に色・声・香・味・触と言う情報が触れると五種類の感覚が(vedanā)起きます。感覚は苦・楽・不苦不楽という三つで、それだけでは、kāma欲、愛着になりません。意で感覚に対する勝手な評価ができて、概念(想・saññā)が限りなく現れます。この働きが、悩み苦しみの原因になり、人を対象に束縛する罠になります。
*Saṅkappa rāgā purisassa kāmā
欲とは思考・妄想である
Kāmandhā jālasañchannā,
欲の盲者達は網に覆われ
*Kāmandhā欲に盲目とは、欲を求めること以外何も見えないと言う意味です。全ての知
識・研究・開発は欲を目指しています。
*jālasañchannā 覆うネット・網とは、眼・耳・鼻・舌・身・意と色・声・香・味・
触・法の間で束縛はありません。しかし、意で起こる感情・煩悩・妄想の原因で(とな
る)眼・耳・鼻・舌・身・意と色・声・香・味・触・法の関係が抜けられない網になっ
ているのです。
Taṇhāchadanachāditā;
渇愛という覆いに閉じ込められている
Pamattabandhunā baddhā,
なまけやなおざりに縛られた者らは
*pamattabandhu放逸の親戚・魔です。
Macchāva kuminām ukhe;
網に向かう魚のように
*macchāva kumināmukhe
*生きることの将来は定めたものです。
*老いて、死ぬことだけが、欲に溺れて生きることの定められた結果です。
*人は生老病死に向かうことは、
Jarāmaraṇamanventi,
人は老死に向かう
Vaccho khīrapakova mātaran”ti.
乳を飲もうとする子牛が母牛を求めるように
*喜んで、悩み・苦しみ・憂い・悲しみ・生老病死を求めて進むのです。
