ウダーナ ~ ベスト・オブ・仏教 第6章10生起するの経(現代訳・解説)
6.10 生起するの経(60)
このように、わたしは聞きました。
あるとき、お釈迦様は、サーヴァッティーに住んでおられた。
ジェータ林のアナータピンディカ長者の聖園で、尊者アーナンダはお釈迦様のおられるところに行き、お釈迦様にご挨拶(あいさつ)して、かたわらに坐った尊者アーナンダはお釈迦様に、こう申し上げた。
「尊き方よ、アラカンにして覚者で悟った方々が、世に現れない間は異教の遊行者たちが
人々から尊敬され、重んじられ、慕われ、捧げられ、うやまわれ、衣料や食事や寝具、
座具やお薬を受けとっていました。
尊き方よ、アラカンにして覚者で悟った方々が、世に現れてからは異教の遊行者たちは
人々から尊敬されず、重んじられず、慕われず、捧げられず、うやまわれず、衣料や食
事や寝具、座具やお薬を受けとっていません。
尊き方よ、世尊こそは、人々から尊敬され、重んじられ、慕われ、捧げられ、うやまわ
れ、衣料や食事や寝具坐具やお薬を受けとっています。そしてビクの僧団も」
「アーナンダよ、このようなものなのです。アラカンにして覚者で悟った方々が、世に現
れない間は、アーナンダよ、異教の遊行者たちが人々から尊敬され、重んじられ、慕わ
れ、捧げられ、うやまわれ、衣料や食事や寝具、座具やお薬を受けとっていました。
アーナンダよ、アラカンにして覚者で悟った方々が世に現れてからは、異教の遊行者た
ちは人々から尊敬されず、重んじられず、慕われず、供養されず、捧げられず、うやま
われず、衣料や食事や寝具、座具やお薬を受けとれなくなりました。」
「尊き方よ、世尊こそは、人々から尊敬され、重んじられ、慕われ、捧げられ、うやまわ
れ、衣料や食事や寝具、座具やお薬を受けとっています。そしてビクの僧団も
」
お釈迦様は、このことを知って、ウダーナを唱えました
太陽が昇らないかぎり
蛍は光り輝くが
太陽が昇ったとき、その光は
輝くこともない(72)
議論者の輝きもこのようなもの
正しく目覚めた者たちが世に現れないかぎり
愚者たちも弟子たちも清まらない
悪しき考え方をなす者たちは苦から解き放たれない(73)
以上が第十の経となる。
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お釈迦様がこの世に現れてからは、それまで尊敬されていた仏教以外の行者達が尊敬されなくなったお話
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なにが書いてあるか
(直訳詩)
Obhāsati tāva so kimi,
それまでは、虫は光り輝く
Yāva na unnamate pabhaṅkaro;
光の作り手(太陽)が昇らないかぎり
Sa verocanamhi uggate,
太陽が昇ったときには
Hatappabho hoti na cāpi bhāsati.
光を失い光り輝くこともない
Evaṃ obhāsitameva takkikānaṃ,
説ある人たちの光り輝きも、このようなもの
Yāva sammāsambuddhā loke nuppajjanti;
正しく自覚めた人たちが世間に現れないかぎり
Na takkikā sujjhanti na cāpi sāvakā,
説ある人たちの弟子たちも清まらず、
Duddiṭṭhī na dukkhā pamuccare”ti.
悪しき見解ある人たちは、苦しみから解き放たれない
解 説
難しいことは無いので、一言だけ解説しておきます
*takkikānaṃ [titthiyānaṃ (sī. syā. pī.)] 議論者(説ある人たち)は一般的に外道と訳されていますが、外道(の人々)と訳す場合は、titthyānaṃという単語を使わなければいけない
*takkikānaṃ議論者です
*宗教は議論、理論、logicで成り立っているが、経験、体験、証拠、立証はありません。
