ウダーナ ~ ベスト・オブ・仏教 第6章9走るの経 (現代訳・解説)
6.9 走るの経(59)
このように、わたしは聞きました。
あるとき、お釈迦様は、サーヴァッティーに住んでおられた。
ジェータ林のアナータピンディカ長者の聖園で。お釈迦様は、漆黒の闇夜のなか油の灯明が燃やされている野外に坐っておられたのです。
大勢の蛾(が)が油の灯明のなかに舞い落ちる、さだめをうけ、災いをうけ、さだめと災いをうけています。お釈迦様は大勢の蛾が油の灯明のなかに舞い落ちる、さだめをうけ、災いをうけ、さだめと災いうけているのを、ただ見つめていたのです。
お釈迦様は、このことを知って、ウダーナを唱えました
人々は執着の対象に向かって走るが真髄には辿り着かない
新たなもの新たなものへと、さらなる束縛を増やすのみ
灯火に落ちる蛾のように、ある者たちは
見るもの聞くものにとびつき対象に、執着している(71)
以上が第九の経となる。
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蛾が明かりの火に飛びこんで死んでいく様をお釈迦様が見つめて言葉を発したお話
かなり有名なお話で古くから芸術のテーマにされています
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なにが書いてあるか
(直訳詩)
Upātidhāvanti na sāramenti,
走るが、真髄には到達しない
Navaṃ navaṃ bandhanaṃ brūhayanti;
新しいもの、新しいものへと、縛りを増進させる。
Patanti pajjotamivādhipātakā,
灯火に共に落ちるように落ちる
Diṭṭhe sute itiheke niviṭṭhā”ti.
見られたもの、聞かれたものに執着する
解 説
Upātidhāvanti na sāramenti,
人々は執着の対象に向かって走るが真髄には辿り着かない
*Upātidhāvaという言葉は、ちょっと駄洒落(だじゃれ)になっているのです。
Upātidhāvaは昆虫のことですが、この余計なものごとに飛んでくるという意味もあるの
です。
*あれ欲しい、これ欲しい、あれいい、これいいと言って、生命が飛んでいる。でも、何
も得られませんよと。
*na sāramenti ; 何も得られません。
*この偈で、人類の生き方を、蛾に譬えた偈で唱えているのです。
Navaṃ navaṃ bandhanaṃ brūhayanti;
新たなもの新たなものへと、さらなる束縛を増やすのみ
*人々は対象を目指して絶えず走っているのです。
*しかし、それらの対象に何の価値も見出せないのです。
*しかし、次から次へと新しい束縛だけを作っているのです。
Patanti pajjotamivādhipātakā,
灯火に落ちる蛾のように、ある者たちは
Diṭṭhe sute itiheke niviṭṭhā”ti.
見るもの聞くものにとびつき対象に、執着している
*この偈でもお釈迦さまは見解について言っているのです。見解とは目が見えないという意味なのです。
*Diṭṭha というのは自分で考えた、達した、あるいは見たもの、suteというのは聞いたも
の、itihekeというのは、その他のことで、niviṭṭhāというのは達した見解です。
*見解とは見たもの、聞いたもの、考察して推論で達したものなどです。
*何の価値もない只の思考・妄想です。
*しかし、見解に執着するもの(者)は火に飛び込む蛾のような存在です。
