ウダーナ ~ ベスト・オブ・仏教

仏教ベスト盤 ~ ウダーナ ~ を翻訳・解説

ウダーナ ~ ベスト・オブ・仏教 第4章1 メーギヤの経

 


4.1 メーギヤの経(31) 
 このように、わたしは聞きました。
あるとき、お釈迦様は、チャーリカーに住んでおられた。
村はずれのチャーリカ山で、お釈迦様の世話係である、尊者メーギヤは、お釈迦様にご挨拶(あいさつ)して、かたわらに立ちました。
尊者メーギヤは、お釈迦様に
 「尊き方よ、わたしは、ジャントゥ村に托鉢に入りたいのです」
 「メーギヤよ、いまがよいと思うのならそうしなさい」
尊者メーギヤは、早刻時に衣を着て鉢と衣料をもって、ジャントゥ村に托鉢に入たのです。
ジャントゥ村を托鉢して、食事のあと托鉢から帰ると、キミカーラー川の岸辺を、尊者メーギヤは、ゆったりとした歩調で、こちらを歩いては、あちらを歩みつつ、清らかで美しく喜ばしいマンゴーの果樹園を見ました。
 「これは、清らかで美しく喜ばしいマンゴーの果樹園だ。このマンゴーの果樹園は良家の
  子息にとって十分な場所だ。お釈迦様がお許しになるなら、このマンゴーの果樹園で修
  行にはげもう」
尊者メーギヤは、お釈迦様のところに行き、ご挨拶(あいさつ)して、かたわらに坐り、こう申し上げた。
 「尊き方よ、わたしは朝早くに、衣を着て鉢と衣料をもってジャントゥ村に托鉢のために入りました。ジャントゥ村を托鉢をして、食事のあと托鉢から帰り、キミカーラー川の岸辺をゆったりと、こちらを歩いては、あちらを歩みつつ、清らかで美しく喜ばしいマンゴーの果樹園を見ました。このマンゴーの果樹園は修行にはげむ良家の子息に、十分な場所です。世尊がお許しになるなら、このマンゴーの果樹園で修行にはげみたいのです」
このように言われたとき、お釈迦様は、尊者メーギヤに、こう告げました。
 「メーギヤ待ちなさい。わたしは独りきりです。誰かしら他にビクがやってくるまでは」
再度、尊者メーギヤは、お釈迦様に、「尊き方よ、世尊には、さらに上の、さらに付け加える、なすべきことはありません。尊き方よ、なすべきことをなしていない、わたしには、さらに上の、さらにつけ加える、なすべきことがあります。
世尊がお許しになるなら、マンゴーの果樹園に、修行にはげむために行きたいのです」
再度また、お釈迦様は、尊者メーギヤに、こう告げました。
 「メーギヤよ、待ちなさい。わたしは独りきりです。誰かしら他にビクがやってくるまで
  は」
三度また、まさに、尊者メーギヤは、お釈迦様に、
 「尊き方よ、世尊には、さらに上の、あるいは、さらに付け加えるなすべきことはありま
  せん。尊き方よ、なすべきことをなしていない、わたしには、さらに上の、さらにつけ
  加えるなすべきことがあります。」
 「世尊がお許しになるなら、マンゴーの果樹園に、修行にはげむために行きたいのです」
再度また、お釈迦様は、尊者メーギヤに、こう告げました。
 「メーギヤよ、修行にはげむと言う人に、どうせよと言えましょう。メーギヤよ、いまがよいと思うのならそうしなさい」
尊者メーギヤは、坐から立ち上がってお釈迦様にご挨拶(あいさつ)して、マンゴーの果樹園のあるところに行き、深く入って行って木の根元で、昼の休息のために坐りました。
尊者メーギヤが、そのマンゴーの果樹園に住んでいると、欲望の思考、怒りの思考、加害の思考、という邪な思考が行き交います。
尊者メーギヤは、こう思いました。
ああ、まさに、めったにないことだ。ああ、まさに、はじめてのことだ。わたしたちは、信によって家を捨て出家したのに、これら欲望の思考、怒りの思考、加害の思考、という邪な思考に取り付かれたのだ。
尊者メーギヤは、夕方に、坐禅から覚め、お釈迦様のおられるところに行き、ご挨拶(あいさつ)して、かたわらに坐りました。
尊者メーギヤは、お釈迦様に
 「尊き方よ、マンゴーの果樹園に住んでいると、欲望の思考、他を傷つけようとする思考、怒りや悩みの思考の邪な思考が行き交います。尊き方よ、わたしは、こう思いました。ああ、めったにないことだ。ああ、はじめてのことだ。わたしたちは信によって家を捨て出家したのに、欲望の思考、他を傷つけようとする思考、怒りや悩みの思考という邪な思考に取り付かれたのだ
 「メーギヤよ、未熟な心による解脱のばあい、五つの法(性質)が、円熟のためにある。五つの法とは。
(1)メーギヤよ、ビクとは、善き朋友であり、善き道友であり、善き友人である。
メーギヤよ、未熟な心による解脱なら、この第一の法(性質)が、円熟のためにある。
(2)メーギヤよ、ビクは、戒を保ち、戒条(波羅提木叉:戒律条項)により守られ、正しい習行と、正しい行動の場をそなえ、かるい罪にも恐怖を見て、戒を自ら受け、戒律の条項を心に刻み学ぶなら、
メーギヤよ、未熟な心による解脱なら、この第二の法(性質)が、円熟のためにある。
(3)メーギヤよ、ビクは、心を開くに適当な、まじめで、けがれを離れるために、貪を離れるために、欲の止滅のために、心が濁らないために、明らかに知るために、正しい体験のために、涅槃などに導く話、つまり、求むこと少なきこと(少欲)についての議論、満ち足りていること(知足)についての議論、世俗の事物から遠く離れていること(遠離)についての議論、多くの人と不必要に交わらないことについての議論、精進に励むことについての議論、戒についての議論、心の統一についての議論、知慧についての議論、解脱についての議論、解脱の知見についての議論、このような形の議論に満足し、なんなく理解する。
メーギヤよ、未熟な心による解脱なら、この第三の法(性質)が円熟のためにある。
(4)メーギヤよ、ビクは、精進に励む者として暮らし、善くない法(性質)を捨てるために、善なる法(性質)を身につけるために、強靱な人として世に住み、断固たる勤勉努力ある者として世に住み、善なる法(性質)について重荷を捨てない者(忍耐強固の者)として暮らす。
メーギヤよ、未熟な心による解脱なら、この第四の法(性質)が、円熟のためにある。
(5)メーギヤよ、ビクは、知慧ある者であり、生と滅についての知慧をそなえた者であり、正しく苦しみの滅尽へ導く聖なる洞察を具えた者である。
メーギヤよ、未熟な心による解脱なら、この第五の法(性質)が、円熟のためにある。
メーギヤよ、ビクが、善き朋友であり、善き道友であり、善き友人であるなら、このことが期待できます。戒を保ち、戒条(戒律条項)により守られ、正しい習行と、正しい行動の場をそなえ、かるい罪にも恐怖を見て、戒を受持して、戒律の条項を受持してそれを学ぶでしょう
メーギヤよ、ビクが、善き朋友であり、善き道友であり、善き友人であるなら、このことが期待できます。心を開くに適当な、まじめで、けがれを離れるために、貪を離れるために、欲の止滅のために、心が濁らないために、明らかに知るために、正しい体験のために、涅槃などに導く話、つまり、求むこと少なきこと(少欲)についての議論、満ち足りていること(知足)についての議論、世俗の事物から遠く離れていること(遠離)についての議論、多くの人と不必要に交わらないことについての議論、精進に励むことについての議論、戒についての議論、心の統一についての議論、知慧についての議論、解脱についての議論、解脱の知見についての議論、このような形の議論に満足し、なんなく理解する。
メーギヤよ、ビクが、善き朋友であり、善き道友であり、善き友人であるなら、このことが期待できます。精進に励む者として暮らし、善くない法(性質)を捨てるために、善なる法(性質)を身につけるために、強靭な人として暮らし、断固たる勤勉努力ある者として暮らし、善なる法(性質)について重荷を捨てない者(忍耐強固の者)として暮らすこと。
メーギヤよ、ビクが、善き朋友であり、善き道友であり、善き友人であるなら、このことが期待できます。知慧ある者であり、生と滅についての知慧をそなえた者であり、正しく苦しみの滅尽へ導く聖なる洞察を具えた者である。
メーギヤよ、そのビクによって、これらの五つの法(性質)で自己を確立して、四つの法(性質)を修められるべきです。すなわち
(1)貪欲の思いを捨てるために、不浄の表象(不浄想)が修められるべきです。
(2)加害の思いを捨てるために、慈愛の心(慈悲の瞑想)が修められるべきです。
(3)思考を断絶するために、呼吸についてのきづき(呼吸の瞑想)が修められるべきです。
(4)『わたしは存在する』という思量(我慢:自我意識)を根絶するために、無常の表象(無常想)が修められるべきです。
メーギヤよ、無常を知る者は、無我(無我想)を知る。無我を知る者は、『わたしは存在する』という思量の根絶を知る。つまり現世において、涅槃を得ます」
 お釈迦様は、このことを知って、ウダーナ唱えました


小さな思い、詳細な想い(妄想)を
行うと心が乱れる
これを知らず妄想に耽ると
愚かな人のように輪廻転生する(38)



こころの思考・妄想について
これを知る人はきづきをもって励む
覚者は心を乱す思考・妄想を
残りなく捨てているのです。
(39)
  以上が第一の経となる。


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なにが書いてあるか


(直訳詩)
Khuddā vitakkā sukhumā vitakkā,
諸々の思考は微小で、諸々の思考は微細で
Anugatā manaso uppilāvā;
心に従い行き跳ね回っている
Ete avidvā manaso vitakke,
心は思考を知ることなく、
Hurā huraṃ dhāvati bhantacitto.
心が迷い、他の世界から他の世界へ流れる


Ete ca vidvā manaso vitakke,
心が思考を知れば
Ātāpiyo saṃvaratī satīmā;
熱心にきづきある人は、統御する
Anugate manaso uppilāve,
心に従い行き跳ね回っている
Asesamete pajahāsi buddho”ti.
覚者は残りなく捨てた


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


尊者メーギヤはマンゴー林で修行したいと、お釈迦様が待ちなさいというのに許可をもらい、修行していたが、三つの善くない思考が浮かび、帰ってきた。


三つの善くない思考
1. 欲情の想い Kāma-vitakka
2. 怒りの想い Byāpāda-vitakka
3. 他を傷つけようとする想い Vihiṃsā-vitakka
*出家した目的に反する妄想が襲うことに長老が驚きます。
*人のこころを騙す働きを知っている釈尊が正しくこころを育てる方法を解き明かす。


そこでお釈迦様は三つの善くない思考を捨てるための、円熟のための五つの条件を授ける


未熟な心が成長する五つの条件


(1)善友をさがす
①善き朋友 kalyāṇamitto hoti  
②善き道友 kalyāṇasahāyo 
③善き友人である kalyāṇasampavaṅko.
 *善友をさがすのが、第一の条件というのは非常に重要なことがらということです


(2)戒と、戒律の条項を心に刻み忘れず学ぶ
①戒を保ちsīlavā hoti, 
 *世俗的な道徳
②戒律条項により守られ pātimokkhasaṃvarasaṃvuto viharati
 *ビクが解脱するための戒めを守る
 *pāti(より正しく)mokkha(解脱)
③正しい習行と、正しい行動の場があり ācāragocarasampanno
*行儀作法に従う        (ācāra-gocara sampanno)
④かるい罪にも恐怖を見て aṇumattesu vajjesu bhayadassāvī
⑤戒を自ら受け sikkhati sikkhāpadesu
 *以上の五段階があります。
(3)対話する時の決まり
  ①少欲の話 appicchakathā
  ②知足の話 santuṭṭhikathā
③遠離の話 pavivekakathā
④多くの人と不必要に交わらない話 asaṃsaggakathā
  *(束縛を作らないために余計な話をしない。)
⑤精進に励むことの話 vīriyārambhakathā
⑥戒の話 sīlakathā
⑦心の統一の話 samādhikathā
⑧知慧の話 paññākathā
⑨解脱についての話 vimuttikathā
⑩解脱の知見についての話 vimuttiñāṇadassanakathā


(4)精進について
①精進に励む āraddhavīriyo viharati
②善くない法を捨てる akusalānaṃ dhammānaṃ pahānāya
③善なる法を身につける kusalānaṃ dhammānaṃ upasampadāya,
④強靱、断固たる勤勉努力し、善なる法に忍耐強固に暮らす thāmavā daḷhaparakkamo anikkhittadhuro kusalesu dhammesu
 *悪をなくすために、善を行うために、諦めず努力します。


(5)知慧あり、生と滅についての知慧をそなえ、正しく苦しみの滅尽へ導く聖なる洞察を具えた者である ññavā hoti udayatthagāminiyā paññāya samannāgato ariyāya nibbedhikāya sammā dukkhakkhayagāminiyā
 *智慧があるとは、生滅を発見すること。正しく苦を乗り越えるために無執着を学ぶこ
  と、そして瞑想の実践で得る解脱に達する力が智慧です。
 *この五項目の全ては、善友があるときのみ完成します。


さらに四つ瞑想方法を授ける


(1)貪欲の思いを捨てるために、不浄の瞑想 asuba bhāvanā
(2)怒りを捨てるために、慈悲の瞑想 mettā bhāvanā
(3)思考を断絶する、呼吸の瞑想 ānāpānassati bhāvanā
(4)自我を根絶するために、無常の瞑想 aniccasaññā bhāvanā
 *無常の観察、無我の観察に進みます。
 *無我の観察で自我の錯覚が消えて解脱に達します。



メーギヤ長老は実際に、お釈迦様の従者として共に暮らしていた方です
 テーラガーターにこのような言が伝わっています
六三 偉大なる健けき人は、あらゆる事象の彼岸におもむいて、(わたしを)教えみちびいてくだ
さった。わたくしは、あの方の教えを聞いて、その御許に楽しんで住んでいた。三つの明知を達
成し、仏の教えをなしとげた。
    メーギヤ長老

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