ウダーナ ~ ベスト・オブ・仏教

仏教ベスト盤 ~ ウダーナ ~ を翻訳・解説

ウダーナ ~ ベスト・オブ・仏教 第6章1輪廻を司る業の働きを捨てる経 (現代訳・解説)


6.1 輪廻を司る業の働きを捨てる経(51) 
 このように、わたしは聞きました。
 あるとき、お釈迦様は、ヴェーサーリーに住んでおられた。
 マハー林の二階建て堂舎(重閣講堂)で、お釈迦様は早刻時に衣を着けて鉢と衣料をもち、ヴェーサーリーに托鉢をして、食事のあと托鉢から戻り尊者アーナンダに語りかけました。
 「アーナンダよ、坐具を取りなさい。わたしたちは昼の休息にチャーパーラ塔廟のあると
  ころに行こうと思う」
 「尊き方よ、わかりました」と、尊者アーナンダはお釈迦様に答えて坐具を取ってお釈迦
  様のすぐ後ろに従いました。そこで、お釈迦様はチャーパーラ塔廟のあるところに設け
  られた坐に坐られました。お釈迦様は尊者アーナンダに語りかけられた。
 「アーナンダよ、ヴェーサーリーは喜ばしい。ウデーナ塔廟は喜ばしい。ゴータマカ塔廟
  は喜ばしい。サッタンバ塔廟は喜ばしい。バフプッタ塔廟は喜ばしい。サーランダダ塔
  廟は喜ばしい。チャーパーラ塔廟は喜ばしい。アーナンダよ、四つの神通の足場(四神
  足:意欲・専心・精進・考察)が、修行され、熟達され、乗りこなし、しっかりと、努
  力され、蓄積され、善く正しくなしとげたなら、望んでいるなら、寿命のあいだ、生涯
  にとどまることができます。寿命(じゅみょう)と残りのあいだ生涯にとどまることが
  できます。アーナンダよ、如来の四つの神通の足場は、修行され、熟達され、しっかり
  と、努力され、蓄積され、善く正しくなしとげられました。アーナンダよ、如来は寿命
  のあいだ生涯にとどまることができます。寿命と残りのあいだ生涯にとどまることがで
  きます。
尊者アーナンダはお釈迦様の気づきやすい知らせがありながらも、気づきやすい暗示がありながらも理解することができませんでした。お釈迦様に乞い求めることをしませんでした。
 「尊き方よ、世尊として、寿命のあいだ世におとどまりください。善き悟りに達した者と
  して、寿命のあいだ世におとどまりください。多くの人々の恵みのために、多くの人々
  の安楽のために、世の人々への慈しみのために、天の神々と人間たちの、恵みのため
  に、安楽のために」と。
まるでそれは、悪魔によって心が完全に包囲されていたかのように。
再度また、お釈迦様は尊者アーナンダに語りかけられた。
 「アーナンダよ、ヴェーサーリーは喜ばしい。ウデーナ塔廟は喜ばしい。ゴータマカ塔廟
  は喜ばしい。サッタンバ塔廟は喜ばしい。バフプッタ塔廟は喜ばしい。サーランダダ塔
  廟は喜ばしい。チャーパーラ塔廟は喜ばしい。アーナンダよ、四つの神通の足場(四神
  足:意欲・専心・精進・考察)が、修行され、熟達され、乗りこなし、しっかりと、努
  力され、蓄積され、善く正しくなしとげたなら、望んでいるなら、寿命のあいだ、生涯
  にとどまることができます。寿命(じゅみょう)と残りのあいだ生涯にとどまることが
  できます。アーナンダよ、如来の四つの神通の足場は、修行され、熟達され、しっかり
  と、努力され、蓄積され、善く正しくなしとげられました。アーナンダよ、如来は寿命
  のあいだ生涯にとどまることができます。寿命と残りのあいだ生涯にとどまることがで
  きます。
尊者アーナンダはお釈迦様の気づきやすい知らせがありながらも、気づきやすい暗示がありながらも理解することができませんでした。お釈迦様に乞い求めることをしませんでした。
 「尊き方よ、世尊として、寿命のあいだ世におとどまりください。善き悟りに達した者と
  して、寿命のあいだ世におとどまりください。多くの人々の恵みのために、多くの人々
  の安楽のために、世の人々への慈しみのために、天の神々と人間たちの、恵みのため
  に、安楽のために」と。
まるでそれは、悪魔によって心が完全に包囲されていたかのように。
三度また、お釈迦様は尊者アーナンダに語りかけました。
 「アーナンダよ、ヴェーサーリーは喜ばしい。ウデーナ塔廟は喜ばしい。ゴータマカ塔廟
  は喜ばしい。サッタンバ塔廟は喜ばしい。バフプッタ塔廟は喜ばしい。サーランダダ塔
  廟は喜ばしい。チャーパーラ塔廟は喜ばしい。アーナンダよ、四つの神通の足場が、修
  行され、熟達され、しっかりと、努力され、蓄積され、善く正しくなしとげたなら、望
  んでいるなら、寿命のあいだ、生涯にとどまることができます。寿命と残りのあいだ生
  涯にとどまることができます。アーナンダよ、如来の、四つの神通の足場は、修行さ
  れ、熟達され、乗りこなし、しっかりと、努力され、蓄積され、善く正しくなしとげら
  れました。アーナンダよ、如来は寿命のあいだ生涯にとどまることができます。寿命と
  残りのあいだ生涯にとどまることができます。
尊者アーナンダは、お釈迦様によって気づきやすい知らせがありながらも、気づきやすい暗示がありながらも理解することができませんでした。お釈迦様に乞い求めることをしませんでした。
 「尊き方よ、世尊として、寿命のあいだ世におとどまりください。善き悟りに達した者と
  して寿命のあいだ世におとどまりください。多くの人々の恵みのために、多くの人々の
  安楽のために、世の人々への慈しみという目的のために、天の神々と人間たちの、恵み
  のために、安楽のために」と。
まるでそれは、悪魔によって心が完全に包囲されていたかのように。
お釈迦様は、尊者アーナンダに語りかけました。
 「アーナンダよ、行きなさい、いまがいいと思うのなら」
 「尊き方よ、わかりました」と、尊者アーナンダはお釈迦様に答えて、座具から立ち上が
  ってお釈迦様にご挨拶(あいさつ)して遠く離れていない木の根元に坐りました。
そこで、悪魔パーピマントは、尊者アーナンダが立ち去ったあと、お釈迦様のおられるところに近づき、かたわらに立ちました。悪魔パーピマントはお釈迦様に、こう告げました。
 「尊き方よ、世尊として、完全なる涅槃に達してください。善き悟りに達した者として完
  全なる涅槃に達してください。尊き方よ、世尊にとって完全なる涅槃に到達する時で
  す。尊き方よ、あなたはかつてこう語られました。
  パーピマントよ、わたしは、それまでは完全なる涅槃に到達することはないでしょう。
  わたしの弟子であるビクたちが、理解にすぐれ、正しく教え導かれ、道に熟達し、心安
  らかに静まり、学識ひろく、法(教え)を保持し、法(教え)を法(教え)のままに実
  践し、正しく実践し、法にのっとった修行をし、自らの師匠の法を正しく習得し、他に
  語り、説き示し、知らせ、確かにし、解明し、解説し、明白にし、法(道理)を用いる
  ことで生じた異論を善くおさえて、神通力を見せて法を説くということがないかぎりは
  尊き方よ、世尊の弟子であるビクたちは、理解にすぐれ、正しく教え導かれ、道に熟達
  し、心安らかに静まり、学識ひろく、法(教え)を保持し、法(教え)を法(教え)の
  ままに実践し、正しく実践し、法にのっとった修行をし、自らの師匠の法を正しく習得
  し、他に語り、説き示し、知らせ、確かにし、解明し、解説し、明白にし、法(道理)
  を用いることで生じた異論を善くおさえて、神通力を見せて法を説きます。
  尊き方よ、世尊として完全なる涅槃に達してください。善き悟りに達した者として完全
  なる涅槃に達してください。尊き方よ、世尊にとって完全なる涅槃に到達する時です。
  尊き方よ、あなたはかつてこう語られました。パーピマントよ、わたしは、それまでは
  完全なる涅槃に到達することはないでしょう。わたしの弟子であるビクニたちが、理解
  にすぐれ、正しく教え導かれ、道に熟達し、心安らかに静まり、学識ひろく、法(教
  え)を保持し、法(教え)を法(教え)のままに実践し、正しく実践し、法にのっとっ
  た修行をし、自らの師匠の法を正しく習得し、他に語り、説き示し、知らせ、確かに
  し、解明し、解説し、明白にし、法(道理)を用いることで生じた異論を善くおさえ
  て、神通力を見せて法を説くということがないかぎりは
  尊き方よ、世尊の弟子であるビクニたちは、理解にすぐれ、正しく教え導かれ、道に熟
  達し、心安らかに静まり、学識ひろく、法(教え)を保持し、法(教え)を法(教え)
  のままに実践し、正しく実践し、法にのっとった修行をし、自らの師匠の法を正しく習
  得し、他に語り、説き示し、知らせ、確かにし、解明し、解説し、明白にし、法(道
  理)を用いることで生じた異論を善くおさえて、神通力を見せて法を説きます。
  尊き方よ、世尊として完全なる涅槃に達してください。善き到達者として、完全なる涅
  槃に達してください。尊き方よ、世尊にとって完全なる涅槃に到達する時です。
  尊き方よ、あなたはかつてこう語られました。パーピマントよ、わたしは、それまでは
  完全なる涅槃に到達することはないでしょう。わたしの弟子である在家の男性たちが、
  理解にすぐれ、正しく教え導かれ、道に熟達し、心安らかに静まり、学識ひろく法(教
  え)を保持し、法(教え)を法(教え)のままに実践し、正しく実践し、法にのっとっ
  た修行をし、自らの師匠の法を正しく習得し、他に語り、説き示し、知らせ、確かに
  し、解明し、解説し、明白にし、法(道理)を用いることで生じた異論を善くおさえ
  て、神通力を見せて法を説くということがないかぎりは
  尊き方よ、世尊の弟子である在家の男性たちは、理解にすぐれ、正しく教え導かれ、道
  に熟達し、心安らかに静まり、学識ひろく、法(教え)を保持し、法(教え)を法(教
  え)のままに実践し、正しく実践し、法にのっとった修行をし、自らの師匠の法を正し
  く習得し、他に語り、説き示し、知らせ、確かにし、解明し、解説し、明白にし、法
  (道理)を用いることで生じた異論を善くおさえて、神通力を見せて法を説きます。
  尊き方よ、世尊として完全なる涅槃に達してください。善き到達者として、完全なる涅
  槃に達してください。尊き方よ、世尊にとって完全なる涅槃に到達する時です。
  尊き方よ、あなたはかつてこう語られました。パーピマントよ、わたしは、それまでは
  完全なる涅槃に到達することはないでしょう。わたしの弟子である在家の女性たちが、
  理解にすぐれ、正しく教え導かれ、道に熟達し、心安らかに静まり、学識ひろく、法
  (教え)を保持し、法(教え)を法(教え)のままに実践し、正しく実践し、法にのっ
  とった修行をし、自らの師匠の法を正しく習得し、他に語り、説き示し、知らせ、確か
  にし、解明し、解説し、明白にし、法(道理)を用いることで生じた異論を善くおさえ
  て、神通力を見せて法を説くということがないかぎりは
  尊き方よ、世尊の弟子である在家の女性たちは、理解にすぐれ、正しく教え導かれ、道
  に熟達し、心安らかに静まり、学識ひろく、法(教え)を保持し、法(教え)を法(教
  え)のままに実践し、正しく実践し、法にのっとった修行をし、自らの師匠の法を正し
  く習得し、他に語り、説き示し、知らせ、確かにし、解明し、解説し、明白にし、法
 (道理)を用いることで生じた異論を善くおさえて、神通力を見せて法を説きます。
  尊き方よ、世尊として完全なる涅槃に達してください。善き悟りに達した者として、完
  全なる涅槃に達してください。尊き方よ、世尊にとって完全なる涅槃に到達する時で
  す。
  尊き方よ、あなたはかつてこう語られました。パーピマントよ、わたしは、それまでは
  完全なる涅槃に到達することはないでしょう。わたしの清浄行が、天の神々と人間たち
  によって見事に示されるまでに、実現し、栄えて、ひろがり、多く知られ、ひろがった
  ものとなるということがないかぎりは』
  尊き方よ、世尊の清浄行は、天の神々と人間たちによって見事に示されるまでに、実現
  もし、栄えて、ひろがり、多くの者に知られ、ひろがっています。尊き方よ、今こそ世
  尊は完全なる涅槃に達してください。善き到達者として完全なる涅槃に達してくださ
  い。尊き方よ、世尊は完全なる涅槃に到達する時です」と。
このように言われたとき、お釈迦様は、悪魔パーピマントに、つげたのです。
 「パーピマントよ、心配はいりません。遠からず如来には完全なる涅槃が有るでしょう
  。これから三月が過ぎれば完全なる涅槃に到達するでしょう」と。
 お釈迦様は、チャーパーラ塔廟において、きづきと正しく知る者となり、輪廻を司る業の働き(行)を捨てられました。
 お釈迦様が輪廻を司る業の働きを捨てられたとき、身の毛のよだつ恐ろしい大地震があり天の雷鼓が炸裂しました。
  お釈迦様は、このことを知って、ウダーナ唱えました


輪廻転生を司る業は計り計りえない
輪廻を司る業を聖者は捨てた
内に喜びあり、心が静まった人は
鎧を破るように、自分のこころから生じる業を破った
(62)
        以上が第一の経となる。



◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ 


なにが書いてあるか


 アーナンダよ、ヴェーサーリー(vesāri)は喜ばしい。ウデーナ塔廟(udenaṃ cetiyaṃ)は喜ばしい。ゴータマカ塔廟(gotamakaṃ cetiyaṃ)は喜ばしい。サッタンバ塔廟(sattambaṃ cetiyaṃ)は喜ばしい。バフプッタ塔廟(buhuputtaṃ cetiyaṃ)は喜ばしい。サーランダダ塔廟(sārandadaṃ cetiyaṃ)は喜ばしい。チャーパーラ塔廟(cāpālaṃ cetiyaṃ)は喜ばしい。
 *(これらは)遊行中、お世話になった場所のことです。(リストです)
 *遊行の旅は釈尊にとって楽しい出来事であったというニュアンスで理解して欲しいと言
  う意味です。



四神足Cattāro iddhipādā について 
 足とは基盤という意味で、四神足とは、集中力、禅定が現れるレベルまで育て、神通が現れるには、下記の四つが必要ということです。
 *➀、Chanda 意欲、やる気、好み、
 *➁、Viriya  精進、
 *➂、Citta   こころの集中力、
 *➃、Vīmaṃsā 智慧、区別、観察能力、
仏教では神通力は重要視されていませんが、よく話には出てくるのでパーリ語も紹介し
ておきました。



 仏弟子とはどうあるべきか、大切なことがらですのでパーリ語と合わせて記載します 
1理解にすぐれ、viyattā 2正しく教え導かれ、vinītā、3道に熟達し、visāradā 4心安らかに静まり、yogakhemā 5学識ひろく、bahussutā、6法(教え)を保持し、hammadharā、
7法(教え)を法(教え)のままに実践し、dhammānudhamma- ppaṭipannā、8正しく実践し、sāmīcippaṭipannā、9法にのっとった修行をし、anudhammacārino、10自らの師匠の法を正しく習得しsakaṃ ācariyakaṃuggahetvā、11他に語り、ācikkhissanti、12説き示し、desessanti、13知らせ、paññapessanti、14確かにし、paṭṭhapessanti、15解明し、ibhajissanti、16解説し、vibhajissanti17明白にし、uttānīka-rissanti、18法(道理)を用いることで生じた異論を善く制御し、uppannaṃ parappavādaṃ saha-dhammena suniggahitaṃ niggahetvā、


神通力を見せて、法を説く、ということがないかぎりはsappāṭihāriyaṃ dhammaṃ desessanti
 *sappāṭihāriyaṃ dhammaṃ desessanti
 *神通力を見せることで(法を説くので)はないのです。よく理解されてない単語です。
 *これは「証拠に基づいて、他人にも確かめることが出来るように説くこと」で、盲目的に信じるのではなくて理性で理解できるように説くという意味です。


 *弟子は、➀ビク(比丘)、➁ビクニ(比丘尼)、➂在家の男性Upāsaka、➃在家の女性Upāsikaになるので四つの項目の仏教徒になります。




(直訳詩)
Tulamatulañca sambhavaṃ,
はかれるものと、はかられるものを、生成するのを
Bhavasaṅkhāramavassaji muni;
聖者は生存を形成する働きを捨てる
Ajjhattarato samāhito,
内に楽しみ有り、入定した人は
Abhindi kavacamivattasambhavan”ti.
鎧をなくすように、自己の生存をなくした



解 説


Tulamatulañca sambhavaṃ,
輪廻転生を司る業は計り計りえない
 *Tula sambhavaṃ 輪廻転生を司る、計れる、知り得る業です。
 *仏教的な瞑想をした能力ある人であったら、ある程度で業は読める。
 *atula sambhavaṃ 理解が難しい、計り得ない業のことです。例えば、無色界の梵天に生
  まれる業とかです。
Bhavasaṅkhāramavassaji muni;
輪廻を司る業を聖者は捨てた
 *Bhavasaṅkhāram 輪廻を司るポテンシャル(行)あるいは業のことです。
Ajjhattarato samāhito,
内に喜びあり、心が静まった人は
Abhindi kavacamivattasambhavan”ti.
鎧(よろい)を破るように、自分のこころから生じる業を破った
 *attasambhavaṃ 輪廻転生を司るポテンシャルは自己(自分のこころ)から生じます。
  この業は自分が作ります。
 *釈尊は五蘊を、殻を破るように破ったのです。煩悩がある人は、輪廻転生するサンカーラを持っている人は、いつでも五蘊(色受想行識)を作るのです。

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