ウダーナ ~ ベスト・オブ・仏教 第5章4 少年たちの経(現代訳・解説)
5.4 少年たちの経(44)
このように、わたしは聞きました。
あるとき、お釈迦様は、サーヴァッティーに住んでおられた。
ジェータ林のアナータピンディカ長者の聖園で、大勢の少年たちがサーヴァッティーとジェータ林との中途で魚たちを捕まえて痛めつけ遊んでいます。
お釈迦様は午前中に、衣を着て鉢と衣料をもって、サーヴァッティーに托鉢のために入りました。お釈迦様は大勢の少年が、サーヴァッティーとジェータ林との中途で魚たちを捕まえて痛めつけ遊んでいるのを見て、少年たちのいるところに行って少年たちに話しかけました。
「君たちは痛いの(苦しみ)は恐いかな。自分の痛いの(苦しみ)は嫌かな」
「はい、尊き方よ、僕たち痛いのは恐いです。僕たち痛いのは嫌です」
お釈迦様は、このことを知って、ウダーナを唱えました
きみたち苦しみを恐れるなら
苦しみが嫌なものなら
人が見ていようと人がみていまいと
悪いことをしてはいけない(54)
もし、悪いことをしたり
またこの先、悪いことをしようとしたら
たとえ空を翔けて逃げ隠れしようとも
きみたちは苦しみから逃げられない(55)
以上が第四の経
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少年達が魚をいじめているところを、お釈迦様が通りかかり話しかけるお話
一見素朴なのですが、業と因縁の深い理法が流れています、積み重なっている心の塵を、おいてよくよく味わう詩です
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なにが書いてあるか
(直訳詩)
Sace bhāyatha dukkhassa,
もし苦しみを恐れるなら
sace vo dukkhamappiyaṃ;
もし、それが苦しみを愛さないなら
Mākattha pāpakaṃ kammaṃ,
悪い行為をしてはならない
āvi vā yadi vā raho.
ひそやかでも、明らかでも
Sace ca pāpakaṃ kammaṃ,
もし、悪い行為を
karissatha karotha vā;
したり、しようとしたら
Na vo dukkhā pamutyatthi,
苦から脱することはない
upeccapi palāyatan”ti.
逃げ回っても、近づいても
解 説
Sace bhāyatha dukkhassa,
きみたち苦しみを恐れるなら
sace vo dukkhamappiyaṃ;
苦しみが嫌なものなら
*苦しみは嫌、幸福になりたいなどの気持ちは素直にあります
Mākattha pāpakaṃ kammaṃ,
人が見ていようと人がみていまいと
āvi vā yadi vā raho.
悪いことをしてはいけない
*目的に達する方法を人は、わかりません
*認識は転倒なので、人が選ぶ道は期待と違って、逆効果になります。
Sace ca pāpakaṃ kammaṃ,
もし、悪いことをしたり
karissatha karotha vā;
またこの先、悪いことをしようとしたら
Na vo dukkhā pamutyatthi,
たとえ空を翔けて逃げ隠れしようとも
upeccapi palāyatan”ti.
きみたちは苦しみから逃げられない
*与える感覚は自分にも返ってくるという業の法則を使っています
*あなたは他人にどのような感覚を与えていますか?
*行為を起こす前に判断しましょう。
業について
*業とは命を司るエネルギーのことです、心の中にこのエネルギーが入っています。
*思考・性格・苦楽・肉体の構成と管理などの方向を業が指(指令)します。
*命を作って管理するエネルギーなので、生きているならば、業から離れることは不可能で す。成り立たない。
*命は過去の業の結果ですが、「生きている間」は新たな業を造っているのです。
*現在の善行為でたくさん善業を造るならば、その業によって、ある程度で過去の業に影響を与えることができます。
