ウダーナ ~ ベスト・オブ・仏教 第5章3ハンセン病者のスッパブッダの経(現代訳・解説)
5.3 ハンセン病者のスッパブッダの経(43)
このように、わたしは聞きました。
あるとき、お釈迦様は、ラージャガハ(王舎城)に住んでおられた。
ヴェール林のカランダカ・ニヴァーパ(竹林精舎)におられ、ラージャガハには、スッパブッダという名のハンセン病者が貧しい人として、哀れな人として、惨めな人とし住んでいた。お釈迦様は、大勢の衆に取り囲まれ、法(教え)を説きながら坐っておられた。
ハンセン病者のスッパブッダは大勢の人だかりを、はるか遠くから見て多くの人々が集まっているのを見て、こう思ったのでした。
「ここに、固い食べ物か軟らかい食べ物が配られている。その大勢の人だかりのあるとこ
ろに行くことにしよう。ここで固い食べ物か軟らかい食べ物がえらえるだろう」
ハンセン病者のスッパブッダは、その大勢の人だかりのあるところに行き、お釈迦様が大いなる衆に取り囲まれ、法(教え)を説き坐っておられたのを見てこう思ったのです。
「固い食べ物か軟らかい食べ物が配られているのではない。修行者ゴータマが、衆のなか
で法(教え)を説いている。法(教え)を聞くことにしよう」
その場で、かたわらに坐り。
「わたしも、法(教え)を聞くのだ」と。
お釈迦様は、集まった人々すべての、心を見回して、その心をご覧になった。
「誰が法(真理)を理解することができるのか」と。
お釈迦様は、ハンセン病者のスッパブッダがその衆のなかに坐っているのを見て、こう思ったのです。
「この者は法(真理)を理解することができる」と。
ハンセン病者のスッパブッダのために、正しい順序にもとづく説法(次第説法)を話されました。
それは、布施についての説法を、戒についての説法を、天界についての説法を、欲望の危険、卑しさ、汚染、離れる(出離)ことは有益であると説きました。
お釈迦様はハンセン病者のスッパブッダのことを、健全なる心をもち、柔和で、妨げを離れる心をもち、踊るような心をもち、清らかな信ある心もつと知ったとき最高に優れた法(真理)をお説きになった。
すなわち、苦の本質と苦の集起と苦の止滅と苦の止滅のための道を説いた。それは、汚れを落とした純白の衣が正しく染料に染まるように、ハンセン病者のスッパブッダに、その場で世俗のちりを離れ、世俗の垢を離れた、法(真理)の眼が生じた。
「生ずるものは,一切が滅するものである」
ハンセン病者のスッパブッダは、法(真理)を見、法(真理)に達し、法(真理)を知り、法(真理)を深く理解し、疑い惑いを離れ、確信をえて、教師の教えによって、他の教えによらない者となり、坐から立ち上がって、お釈迦様のおられるところに近づき、お釈迦様にご挨拶(あいさつ)して、かたわらに坐り、ハンセン病者のスッパブッダは、お釈迦様にこう申し上げた。
「尊き方よ、見事です。尊き方よ、見事です。尊き方よ、倒れたものを起こすかのよう
に、覆われたものをひらくかのように、迷う者に道を示すように、眼ある者たちは、形あ
るものを見ようと、暗闇のなかで灯火を灯すように、世尊によって無数の法(真理)が示
されました。尊き方よ、わたしは、覚者に帰依します、法(教え)とビクの僧団を、世尊
よ、わたしを在俗信者として認めてください命ある限り帰依します」
お釈迦様の法(真理)の説法によって、真理を示され、はげまされ、感動させられた、ハンセン病者のスッパブッダは、お釈迦様が語ったことを大いに喜んで、坐から立ち上がって、お釈迦様にご挨拶(あいさつ)して立ち去りました。
立ち去ったあと長からずして、ハンセン病者のスッパブッダに若い子牛づれの雌牛がぶつかって、その生命を奪いました。
大勢の修行者が、お釈迦様のおられるところに行き近づいて、お釈迦様にご挨拶(あいさつ)して、かたわらに坐りました。修行者たちは、お釈迦様にこうたずねたのです。
「尊き方よ、世尊の法(真理)の説法によって、真理を示され、はげまされ、感動させら
れた、スッパブッダという名のハンセン病者ですが、彼が命を終えたのです。どのような
来世の世界に生まれますか、どのような未来の運命がありますか」
「ビクたちよ、ハンセン病者のスッパブッダは賢者です。法(教え)を法(教え)のまま
に実践しました。法(教え)を問題にして、わたしを悩ますことがありませんでした。
ビクたちよ、ハンセン病者のスッパブッダは、三つの縛り(三結)を完全に滅し(実体と
して自己が存在するという見解・疑惑・無意味な戒や掟への執着)預流果となり必ず正し
い悟りの境涯に行くだろう」このように言われたとき、ある修行者が、お釈迦様に申し上
げた。
「尊き方よ、なにが因なのですか、なにが縁なのですか、どのような因縁があって、ハン
セン病者のスッパブッダは、悲惨な境遇に生を受けたのですか)」
「ビクたちよ、昔の事ではあるが、ハンセン病者のスッパブッダは、このラージャガハで
長者の子であった。庭園を歩いていたとき、タガラシキンという独自に悟った聖者が、城
市に托鉢のために入るのを見てこう思ったのです。
『何なんだ、病人の衣料でうろつく、このハンセン病者は』と
唾を吐いて、軽蔑して、立ち去りました。その行いの報いによって数百年も、数千年も、
数百千年も、地獄で煮られたのです。その行いの報いの残でこのラージャガハで貧しい人
間として、哀れな人間として、惨めな人間として生まれました。
しかし、悟った人によって知らされた法(教え)と律を頼りにして、信をえて、戒をえ
て、学識をえて、心の平静をえて、知慧をえました。悟った人によって知らされた法(教
え)と律を頼りにして、信をえて、戒をえて、学識をえて、心の平静をえて、知慧をえ
て、身体がこわれたのち、死後、善き世界の天上に再生し、三十三天の神々たちとともに
住んでいます。そこでは、天の神々のなかでも風格でも福徳でも輝きまさる」
お釈迦様は、このことを知って、ウダーナを唱えました
眼あるものは精いっぱいの努力で
危険を避けるように
賢者はこの世の
悪を避けるものである(53)
以上が第三の経となる。
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*物語の中で、ゼロ知識から解脱に達するまで必要な智慧が現れるようにする、成長する目的で丁寧にプログラムされたお釈迦様独特の説法である順次説法(Anupubbikataṃ)が説かれていましたので紹介します
1.dānakathaṃ - 布施の説法。豊かになりたい、幸福になりたいと思っている人々に、その方法を教える。
2.sīlakathaṃ - 道徳・戒律などの話。
3.saggakathaṃ - 天界にどのように赴くのかと解説する。
4.kāmānaṃ ādīnavaṃ okāraṃ saṅkilesaṃ - 諸々の欲望の禍(わざわい)、卑しさ、穢(けが)れていること。
5.nekkhamme ānisaṃsaṃ - 欲望を離れることは有益であることを説き明かされた。
上記のような内容です、これはお釈迦様の時代の主流だった宗教の説法の方法を借りて、お釈迦様の教えを知らなくても無理なく理解できるように説いた方法です。
最高に優れた法(真理)とは、苦の本質と苦の集起と苦の止滅と苦の止滅のための道、つまり、苦聖諦・集聖諦・滅聖諦・道聖諦のこと。
法(真理)の眼が生じた。「生ずるものは,一切が滅するものである」
転法輪転経にある尊者アンニャーシ・コンダンニャが、お釈迦様の教えを理解した時の言葉です。
お釈迦様の教えを知らない人々にも、懇切丁寧に無理なく、教えを説くときの、フルセットがこの物語に語られています。
お釈迦様は物語や喩えなどを相手に合わせて、巧みにつかい導いていきます、一つの物語にお釈迦様の教えをもりこんだお話です。
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なにが書いてあるか
(直訳詩)
Cakkhumā visamānīva,
眼ある人は不正を
vijjamāne parakkame;
現在の努力で避けるように
Paṇḍito jīvalokasmiṃ,
賢者は、生きるこの世の
pāpāni parivajjaye”ti.
悪を避けるもの
解 説
Cakkhumā visamānīva,
眼あるものは精いっぱいの努力で
vijjamāne parakkame;
危険を避けるように
*危険とは、身体のある時の、断崖などの場所、危険な毒蛇などの動物
Paṇḍito jīvalokasmiṃ,
賢者はこの世の
pāpāni parivajjaye”ti.
悪を避けるものである
*ハンセン病者のスッパブッダが、前世でタガラシキンにしたような悪行為を避けて、ス
ッパブッダが、お釈迦様の教えに触れて、死後に善き世界の天上に再生したようにとい
う意味
