ウダーナ ~ ベスト・オブ・仏教 第5章2短命の者たちの経 (現代語訳・解説)
5.2 短命の者たちの経(42)
このように、わたしは聞きました。
あるとき、お釈迦様は、サーヴァッティーに住んでおられた。
ジェータ林のアナータピンディカ長者の聖園で、尊者アーナンダは夕刻時に坐禅から覚め、お釈迦様のところに行き、ご挨拶(あいさつ)して、かたわらに坐りました。尊者アーナンダは、お釈迦様にこう申し上げた。
「尊き方よ、めったにないことです。尊き方よ、はじめてのことです。尊き方よ、世尊の
母は短命で世尊が生まれて七日のあいだに世尊の母は命を終え、兜率天の衆に再生しま
した」
「アーナンダよ、菩薩の母たちは短命で世に生まれます。菩薩が生まれて七日のあいだに
菩薩の母たちは命を終え兜率天の衆に再生します」
お釈迦様は、このことを知って、ウダーナを唱えました
この世に生まれたなら
すべて肉体を捨てて行くだろう
巧みな人はすべては災いだとしって
清浄行を修めてほしい(52)
以上が第二の経となる。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
なにが書いてあるか
(直訳詩)
Ye keci bhūtā bhavissanti ye vāpi,
誰でも生物として、あるのであるなら
Sabbe gamissanti pahāya dehaṃ;
全ては体を捨てて、行くであろう
Taṃ sabbajāniṃ kusalo viditvā,
智者は全ての、その衰退を知って
Ātāpiyo brahmacariyaṃ careyyā”ti.
熱心に、梵行(禁欲清浄行)を歩む
解 説
Ye keci bhūtā bhavissanti ye vāpi,
この世に生まれたなら
Sabbe gamissanti pahāya dehaṃ;
すべて肉体を捨てて行くだろう
*人(生命)は命に執着し肉体に依存します
*肉体が壊れて行くことに怯え、永遠の命を期待します
*決して叶わない希望なので、更に苦しむのです
*しかし、一切の現象は無常であることは事実です
Taṃ sabbajāniṃ kusalo viditvā,
巧みな人は、すべては災いだとしって
*巧み(kusalo)の人は、成り立たない執着と自由を奪う依存を絶つために、励むので
す。
*一切の現象は無常であると知っている人は、執着は成り立たないと知っている
*依存は自分の自由を奪うのだと知っている
*だから、その執着と依存を絶つことこそ、人の道であると知っているのです。
Ātāpiyo brahmacariyaṃ careyyā”ti.
清浄行を修めてほしい
*永寿の錯覚で生きる世界と違って、仏道は真理・事実に基づいて励むのだという意味で
す
*この詩は、菩薩の母上が亡くなることに関係ないのです。何故かと言うと、このケースからお釈迦さまは、また普遍的な真理、生命が気づかない真理を詠っているのです。
