ウダーナ ~ ベスト・オブ・仏教 第4章10サーリプッタの静寂の経(現代語訳・解説)
4.10 サーリプッタの静寂の経(40)
このように、わたしは聞きました。
ある時、お釈迦様は、サーヴァッティーに住んでおられた。
ジェータ林のアナータピンディカ長者の聖園で、尊者サーリプッタが、お釈迦様から遠く離れていないところ、瞑想姿で身体を真っすぐに立てて、自らのこころの静寂(せいじゃく)を省察(せいさつ・よしわるしを自ら考える)しながら坐っていたのです。
お釈迦様は、尊者サーリプッタが遠く離れていないところ、瞑想姿で身体を真っすぐに立てて、自らのこころの静寂を省察しながら坐っているのを見ました。
お釈迦様は、このことを知って、ウダーナを唱えました
心が安穏に達し
渇愛・煩悩を断っている
輪廻転生は尽きて
マーラの束縛から解放される(50)
以上が第十の経となる。
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自らのこころの静寂(せいじゃく)を省察(せいさつ)しながら坐っていた
*これは自我が無いからできる瞑想です。
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なにが書いてあるか
(直訳詩)
Upasantasantacittassa,
心が寂静していて
netticchinnassa bhikkhuno;
導くもの(煩悩)を断ち切ったビクにとって
Vikkhīṇo jātisaṃsāro,
生の輪廻は滅尽し、
mutto so mārabandhanā”ti.
まよいの縛りから脱した
解 説
Upasantasantacittassa,
心が安穏に達し
*これ誰かのという格変化が入ってますから、心が安穏に達している人のというように、
人のと言っちゃうと、人・個人が入りますけどパーリ語では個人が入らないような言語
になるのです。
Netticchinnassa bhikkhuno;
渇愛・煩悩を断っている
*netticchinnassa 渇愛・煩悩を断っている
*nettiとはspikeという意味です。
輪廻に繋がっているという意味です。
Vikkhīṇo jātisaṃsāro,
輪廻転生は尽きて
mutto so mārabandhanā”ti.
マーラの束縛から解放される
*Mārabandhanā
*魔(死)の束縛、魔とは輪廻転生に繋がる渇愛です。