ウダーナ ~ ベスト・オブ・仏教

仏教ベスト盤 ~ ウダーナ ~ を翻訳・解説

ウダーナ ~ ベスト・オブ・仏教 第4章9ウパセーナの経 (現代語訳・解説)


4.9 ウパセーナの経(39) このように、わたしは聞きました。
 あるとき、お釈迦様は、ラージャガハに住んでおられます。
 ヴェール林のカランダカ・ニヴァーパで、離れて独り静かに座っているヴァンガンタの子の尊者ウパセーナの心にこのような考えが浮かびました。
 「わたしには幸いだ。わたしの師はアラカンにして正しく自覚めた世尊である。わたしは正しく説かれた法(教え)と律により出家した。わたしと修行を共にし、戒をたもち、善なる法(教え)を守る者たちである。さてわたしは戒をまっとうできた。わたしは心が落ち着いている。わたしはアラカンとなり煩悩を滅した。わたしは大いなる神通・強い力をもてた。わたしにとって人生は幸いなるものであり、死は幸いなるものである」と。
  お釈迦様は、心をとおして、ヴァンガンタの子の尊者ウパセーナの心の考えを知って、
  その時にウダーナを唱えました。


誰かが生きている間では悩みがない
死ぬ間際になっても悲しくない
その人こそ本当のことを知った智慧のある人
人類は悲しんでいるが、その人は悲しんでいない
(48)


存在欲をなくした
心の静まったビクにとっては
生存の輪廻は尽き
再び生を受けることはない
(49)
      以上が第九の経となる。


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わたしにとって人生は幸いなるものであり、死は幸いなるものである
*これが人間に出来る究極の勝利宣言です。



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なにが書いてあるか



(直訳詩)
Yaṃ jīvitaṃ na tapati,
生存を苦しまないなら
maraṇante na socati;
死という終りを憂い悲しまない
Sa ve diṭṭhapado dhīro,
まさに、足跡を見た賢者であり、
sokamajjhe na socati.
憂いの中でも憂い悲しまない


Ucchinnabhavataṇhassa,
生存にたいする渇愛は断ち切った
santacittassa bhikkhuno;
寂静心のビクにとって
Vikkhīṇo jātisaṃsāro,
生の輪廻は滅尽し
natthi tassa punabbhavo”ti.
さらなる生存は存在しない



解 説


Yaṃ jīvitaṃ na tapati,
誰かが生きている間では悩みがない
maraṇante na socati;
死ぬ間際になっても悲しくない
 *死の間際でもぜんぜん悩まない。
Sa ve diṭṭhapado dhīro,
その人こそ本当のことを知った智慧のある人
 *diṭṭhapado dhīro,
 *真理に達した賢者です
sokamajjhe na socati.
人類は悲しんでいるが、その人は悲しんでいない
 *悩んでいる世界の中で、悩みがなく生きている。
 *socati. 悲しみ
 *世界とは悩み・苦しみと同義語です。


Ucchinnabhavataṇhassa,
存在欲をなくした
 *聖者は、人間に無くなる理由のものは、このbhavataṇhāと言うものは、無くすのです。
 *bhavataṇhā
 *存在欲のことです。
 *生命は生きていきたいのです。死にたくないのです。それは生命の基本です。
 *生命は感覚に依存して、常に生き続けたいと言う衝動を持っています、これが生存欲と
  なります。
 *一回見たもの、感じたものを、見たくなる、感じたくなるのは、以前の感覚に依存して
  いるから生存欲が生じて命が輪廻する。
santacittassa bhikkhuno;
心の静まったビクにとっては
Vikkhīṇo jātisaṃsāro,
生存の輪廻は尽き
 *輪廻転生するのは、今ここに感覚があるからです。
natthi tassa punabbhavo”ti.
再び生を受けることはない
 *感覚が無くなると怖くなるのです。
 *覚者がそれ(存在欲)を絶ちます。



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伝 記


ウパセーナ・ヴァンガンタアッタ 


 「ヴァンガンタの子のウパセーナ」という意味。マガダ国のナーフカ村のバラモン出身。サーリプッタの弟で、三兄弟三姉妹すべて出家した。ブッダから、いかに衆をひきいるかを聞かれ、自分を制御してのち他を制御すると答え、賞賛を受ける。
「テーラガーター」五七七~五八六を説く。


五七七 独り瞑想するためには、修行者は、遠く離れて、騒音の少ない、猛獣の出没する
ような臥処を受容すべきである。
五七八 ごみため、墓場、または街路からぼろ布をもって来て、外衣をつくり、粗末な衣
を着衣すべきである。
五七九 修行僧は、感官の門をまもり、よく自ら制御して、心を低くして、家から家へと
順次に、托鉢に歩むべきである。
五八〇 まずい食物にも満足すべきである。他に多くの味を求めてはならない、もろもろ
の味を貪る人は、心が瞑想を楽しむことがない。
五八一 聖者は、望むところ少なく、満足して、在家者とも、出家者とも、両者とともに
交らず、人々から離れて住むべきである。
五八二 自己を表わすこと、あたかも鈍き者または愚者のごとくであれ、賢明なる者は、
つどい(サンガ)のなかでやたらにしゃべってはならない。
五八三 かれは、なんぴとをも誹訪してはならない、また他人を害なうことを避けよ。戒
律箇条をよく守って、食物に関しては適量を知れ。
五八四 かれは(もろもろの事象の)相をよく理解し、心のはたらきの生起を熟知するも
のであれ。適当な時に、心を静めること(止)と、総じて見とおすこと(観)とに努めよ。
五八五 精励と堅忍とを身に共現し、つねにヨーガに専念せよ。賢明なる人は、苦しみの
終滅に達しないうちは、確信を得ることはできないであろう。
五八六 修行僧が、清浄なることを欲して、このように暮しているならば、かれの汚れは
すべて滅び、安らぎの境地を体得するであろう。
     ヴァッガンタの子であるウパセーナ長老

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