ウダーナ ~ ベスト・オブ・仏教 第4章2うわついた者たちの経 (現代訳・解説)
4.2 うわついた者たちの経(32)
このように、わたしは聞きました。
あるとき、お釈迦様は、クシーナーラーに住んでおられた。
マッラ族のもつウパヴァッタナのサーラ樹の林で大勢の修行者が、うわついた、謙虚でない心で、落ち着きなく、口が悪く、言葉が乱れ飛び、気づきを忘れ、正しく知ることなく、静まっていず、心が混迷し、本能のままに生き、お釈迦様から遠く離れていない林の小屋に住んでいます。
お釈迦様は、それらの大勢の修行者が、うわついた、謙虚でない心で、落ち着きなく、口が悪く、言葉が乱れ飛び、気づきを忘れ、正しく知ることなく、静まっていず、心が混迷し、本能のままに生き、遠く離れていない林の小屋に住んでいるのを見ました。
そのときお釈迦様は、このことを知り、ウダーナを唱えました
身体を(の行為)守っていない[こころを守っていない]
邪見に打たれている
沈滞睡眠に支配されている
その人は悪魔(輪廻転生)の領域に行く(40)
なので、こころを護り
正思惟(貪瞋痴から離れる思考)をよりどころとして
正見を先頭にして
「生滅」を知って
沈滞睡眠を超えたビクが
全ての悪趣を捨てている(41)
以上が第二の経となる。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
お釈迦様の弟子のビクが、ある日心が暴走し乱れているお話
身体が守られていないとは、五感が守られていない状態です
瞑想の目的はあるがままを観察すること、そのためには五感を制御して、心にむける
眠気と沈滞は瞑想の大敵ですと瞑想の要を具体的に詩う
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
なにが書いてあるか
(直訳詩)
Arakkhitena kāyena,
身体が守られていないことで
micchādiṭṭhihatena ca;
誤った、見解に打破され
Thinamiddhābhibhūtena,
沈滞と眠気に征服され
vasaṃ mārassa gacchati. (40)
まよいに支配される(40)
Tasmā rakkhitacittassa,
それゆえ心が守られた人は
sammāsaṅkappagocaro;
正しく考える方向に行き
Sammādiṭṭhipurekkhāro,
正しい見解を尊ぶ
ñatvāna udayabbayaṃ;
生成と衰微を知って、
Thinamiddhābhibhū bhikkhu,
沈滞と眠気を征服する比丘は、
sabbā duggatiyo jahe”ti. )
全ての悪い境遇を捨てる
解 説
Arakkhitena kāyena,
身体を(の行為)守っていない[こころを守っていない]
*眼・耳・鼻・舌・身・意が守られていない
micchādiṭṭhihatena ca;
邪見に打たれている
*私があるなどに、執着している。
Thinamiddhābhibhūtena,
沈滞睡眠に支配されている
vasaṃ mārassa gacchati.
その人は悪魔(輪廻転生)の領域に行く
*修行を怠るな、という意味
Tasmā rakkhitacittassa,
なので、こころを護り
*こころが守られていなければ、輪廻転生していく
sammāsaṅkappagocaro;
正思惟(貪瞋痴から離れる思考)をよりどころとして
*邪見が除かれた人のこと
*自業自得を正しく知る人
Sammādiṭṭhipurekkhāro,
正見を先頭にして
*如実知見を特徴とするのが正見
*邪見は除かれている
*その正見を先頭にして
ñatvāna udayabbayaṃ;
生滅を知って
*正見を先頭にして生滅を智慧で知る
*業のことを知る
Thinamiddhābhibhū bhikkhu,
沈滞睡眠を超えたビクが
*沈滞睡眠がなければ
sabbā duggatiyo jahe”ti. )
全ての悪趣を捨てている
*duggati悪趣とは、地獄・餓鬼・畜生界のこと
*jahe捨てているとは、涅槃に入っていること